日本書紀 巻第十九 天国排開広庭天皇 二十六
・百済の使者。帰国する
・百済王。日本府の臣と任那の執事を召集する
冬十月、
百済の使人、
奈率得文(なそちとくもん)、
奈率奇麻(なそちがま)等が、
還りました。
(百済本記は云う、冬十月、奈率得文、奈率奇麻
等が、日本より還り、奏したところの河内直、移那斯、麻都等の事は、報(こた)えの勅がなかったと。)
十一月、
百済は、使いを遣わして、
日本府の臣、任那の執事を召して、
「天皇に朝しに遣わした。
奈率得文(なそちとくもん)、
許勢奈率奇麻(こせのなそちがま)、
物部奈率奇非(もののべのなそちがひ)等が、
日本より還ってきた。
今、
日本府の臣及び任那国の執事は、
宜しく来て勅を聞き、
同じくして任那のことを議(はか)ろう」
といいました。
日本の吉備臣、
安羅の下旱岐大不孫(あるしかんきだいふそん)、
久取柔利(くすぬり)、
加羅の上首位古殿奚(おこししゅいこでんけい)、
卒麻君(そちのまきし)、
斯二岐君(しにきのきし)、
散半奚君(さんはんげのきし)の子、
多羅の二首位訖乾智(にしゅいこちげんち)、
子他の旱岐(かんき)、
久嵯(こさ)が、
またも百済にお赴きました。
ここにおいて、
百済王の聖明は、
あらかた詔書を示して、
「吾は、
奈率彌麻那、奈率己連、奈率用奇多等を
遣わして、
日本に朝した。
詔して、
『早く、任那を建てよ』
といいました。
又、
津守連が勅を奉じて、
任那のことをなしとげたかと問いました。
故に、
召すを遣わした。
まさに又どのようにして、
任那をよく建てることができるのか。
請う、
各、謀(はかりごと)を
陳(の)べてくれ」
といいました。
吉備臣、任那の旱岐等は、
「任那の国を建てるのは、
ただ大王に在ります。
冀(こ)いねがいます。
王に遵(したが)い、
俱(ともに)奏して勅を聴きましょう」
といいました。
(感想)
(欽明天皇5年)
冬十月、
百済の使者、
奈率得文、奈率奇麻等が、
国へ還りました。
(百済本記は云う、冬十月、奈率奇麻等が、日本より還り、天皇に奏したところの河内直、移那斯、麻都等の事は、こたえの勅がなかったと。)
十一月、
百済は、使者を派遣して、
日本府の臣、任那の執事を召集して、
「天皇に朝貢しに派遣した、
奈率得文、許勢奈率奇麻、物部奈率奇非等が、
日本より帰国した。
今、
日本府の臣及び任那国の執事は、
宜しく、
百済に来て勅を聞き、
席を同じくして
任那のことを議(はか)ろう」
といいました。
日本の吉備臣、
安羅の
下旱岐大不孫、
久取柔利、
加羅の
上首位古殿奚、
卒麻君、斯二岐君、斯半奚君の子、
多羅の
二首位訖乾智、子他旱岐、久嗟旱岐が、
またも百済にお赴きました。
ここにおいて、
百済王の聖明は、
あらかた詔書を示して、
「吾は、
奈率彌麻那、奈率己連、奈率用奇多らを
遣わして、
日本に朝見した。
天皇は詔して、
『早く、任那を建てよ』
といいました。
又、
津守連が勅を奉じて、
任那のことを成し遂げたかと問いました。
故に、
招集する使者を派遣した。
まさに又どのようにして、
任那をよく再建しようか。
請う、
各々、
任那再建についての計画や手段を述べてくれ」
といいました。
吉備臣、
任那の旱岐等は、
「任那の国を再建する鍵は、
ただ大王に在ります。
請い願います。
王に従い、
ともに奏して勅を聴きましょう」
といいました。
明日に続きます。
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