リートリンの覚書

日本書紀 巻第二十一 橘豊日天皇 二 ・皇后・妃と子どもたち



日本書紀 巻第二十一 橘豊日天皇 二

・皇后・妃と子どもたち



元年春正月一日、
穴穗部間人皇女
(あなほべのはしひとのひめみこ)
を立てて皇后としました。
四男を生みました。

其の一は、
厩戸皇子(うまやとのみこ)といいます。

(更の名は、豊耳聡聖徳(とよみみとしょうとく)。或いは豊聡耳法大王(とよとみみののりのおおきみ)となづけた。或いは法主王(のりのうしのおおきみ)といいます)

この皇子は、
初め上宮(かみつみや)に居ました。
後に斑鳩(いかるが)に移りました。

豊御食炊屋姫天皇
(とよみけかしきやひめのすめらみこと)
の世に、
東宮の位に居ました。

万機(よろずのまつりごと)を
総摂(そうせつ)して、
天皇の事を行いました。

語は豊御食炊屋姫天皇紀に見えます。

其の二は、
来目皇子(くめのみこ)といいます。

其の三は、
殖栗皇子(えくりのみこ)といいます。

其の四は、
茨田皇子(まむたのみこ)といいます。

蘇我大臣稲目宿禰
(そがのおおおみいなめのすくね)の娘、
石寸名(いしきな)を立てて、
嬪(ひん)としました。

田目皇子(ためのみこ)を生みました。
(更の名は豊浦皇子(とゆらのみこ)

葛城直磐村(かつらぎのあたいわむら)
の娘、広子(ひろこ)は、
一男一女を生みました。

男は、
麻呂子皇子(まろこのみこ)といいます。
当麻公(たぎまのきみ)の祖です。

女は、
酢香手姫皇女
(すかてひめのひめみこ)
といいます。
三代を歴(へ)て日神につかえました。



・上宮
桜井市上之宮
豊御食炊屋姫天皇
(とよみけかしきやひめのすめらみこと)
推古天皇
・万機(よろずのまつりごと)
政治


(感想)

きたー!

厩戸皇子(うまやとのみこ)が生まれた!

厩戸皇子と言えば、
聖徳太子ですね。

やっと、
よく知る人物が登場してきたよ。

長かった。

さて、
用明天皇の御代は
どんな時代だったのでしょうか。

明日に続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。



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