リートリンの覚書

日本書紀 巻第二十 渟中倉太珠敷天皇 十三 ・百済国主、日羅の派遣を拒む ・羽鳥を再び百済に派遣する



日本書紀 巻第二十 渟中倉太珠敷天皇 十三

・百済国主、日羅の派遣を拒む
・羽鳥を再び百済に派遣する



冬十月、

紀国造押勝
(きのくにのみやつこおしかつ)等が、
百済から帰国しました。

朝に復命して、
「百済国主が、
日羅を奉るのを惜しみ、

聴きいれ、
上(たてまつ)ることに、
肯(うなず)きませんでした」
といいました。

この歳、

復、
吉備海部直羽嶋
(きびのあまのあたいはしま)
百済に遣わして、

日羅を召しました。

羽鳥は、
既に百済についてから、
先に私に見ようと思い、

独り自ら、
家の門のもとに向きました。

しばらくして、
家の裏から韓婦(からめのこ)が来て、

韓語を用いて、
「汝の根を我が根の内に入れよ」
といい、

即、
家に入ってしまいました。

羽島は、
便(たよ)りに
その意を覚(さと)って、

後に随(したが)い、
入りました。

ここにおいて、
日羅が迎えに来て、

手を把(と)って、
座(しきい)に座らせました。

密かに告げて、
「僕が密かに聞くところによりますと、

百済国主は、
天朝を疑い奉っているのです。

臣を遣わし奉った後に、
留めて還さないのではないかと。

所以(ゆえん)、
惜しみ奉り、

進奉(しんぽう)を
肯(うなず)かないのです。

勅を宣(のたま)う時に、
厳(きび)しく、
猛(たけ)しいかおつきをあらわして、

催(うなが)し、
急かし、
召すのがいいでしょう」
といいました。

羽島は、
すなわちその計りに依り、
日羅を召しました。



・所以(ゆえん)
理由。だから
・進奉(しんぽう)
さしあげること。進上



(感想)

(敏達天皇12年)

冬10月、
紀国造押勝らが、
百済から帰国しました。

朝廷に報告して、
「百済国主が、
日羅を差し上げるのを惜しみ、

聴きいれ、
献上することに、
うなずきませんでした」
といいました。

この歳、
また、
吉備海部直羽嶋百済に派遣して、
日羅を召しました。

羽嶋は、
既に百済に到着してから、

先に私的に日羅を見ようと思い、
独り自ら家の門のもとに出向きました。

しばらくして、
家の裏から、
韓婦(からめのこ)が来て、

韓語を用いて、
「汝の根を我が根の内に入れよ」
といい、

すぐに、
家に入ってしまいました。

羽島は、
便りにその意を悟って、
後に従い中に入りました。

((((;゚Д゚)))))))

「汝の根を我が根の内に入れよ」
ですと…

(〃ω〃)

この時、
日羅が迎えに来て、

手をとって、
座(しきい)に座らせました。

あれ?
やだなぁ。
勘違いしちゃったよ。

(//∇//)

密かに告げて、
「私が密かに聞くところによりますと、

百済国主は、
天朝を疑っているのです。

臣を派遣した後に、
留めて還さないのではないかと。

ですから、
惜しみ、
献上をうなずかないのです。

勅を宣(のたま)う時に、

厳しく、
猛々しい顔付を現して、

促し、
急かし、
召すのがいいでしょう」
といいました。

羽島は、
その謀り通りにし、
日羅を召しました。

百済が日本の申し出に
うなずかないとは…

朝廷への忠誠が
薄くなってしまったようですね。

この影響が心配です。

明日に続きます。

読んで頂き
ありがとうございました。


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