リートリンの覚書

日本書紀 巻第十九 天国排開広庭天皇 三十一 ・膳臣巴提便と虎



日本書紀 巻第十九 天国排開広庭天皇 三十一

・膳臣巴提便と虎



冬十一月、
膳臣巴提便(かしわでのおみはすひ)が、
百済から還ってきて、
「臣が遣使(つかわしめ)されたとき、
妻子もつきしたがいともに去りました。

百済の浜に行くに至り、
(浜とは海浜です)
日がくれて停宿しました。

子どもが忽(たちま)ち、
きえました。

どこに行ったのかわからず。

その夜は大雪で、
天が暁となり、
あけはじめ、
求めたところ、
虎の跡が連なっていました。

臣は刀を帯びて、
甲(よろい)を身につけ、
尋ねて巖岫(いわほのくき)に至り、

刀を抜いて、
『敬い、御言を受けて、
陸海に苦労して、

風でかしわをけずり、
雨でゆすいで、

草をまくらにし、
荊(けい)をしきいとしてきたのは、

その子を愛しみ、
父業(おやのわざ)につかせるためだ。

これ汝は、
威(かしこ)い神で、
愛しい子を一口にした。

今夜、
子がきえ、
跡を追い、
尋ね求めて至った。

命を亡くすことを畏れず、
報いようと思い、
故に来たのだ』
といいました。

既に、
その虎は前に進み、
口を開けてかみつこうとしました。

巴提便は、
忽(たちま)ち、
左手をのばして、

その虎の舌を執って、
右手で刺し殺し、
皮を剥ぎ取り還りました」
といいました。



・巖岫(いわほのくき)
岩窟
・荊(けい)
いばら



(感想)

(欽明天皇6年)
冬11月、
膳臣巴提便が、
百済から帰国して、

「私が遣使されたとき、
妻子も付き従い、
百済をともに去りました。

百済の浜に到着すると、
日がくれて停宿しましたが。

子どもがたちまち、
消えました。

どこに行ったのか、
分かりません。

その夜は大雪。

天が暁となり、
明け始めてから、
子どもを探し求めたところ、

虎の足跡が連なっていました。

私は刀を腰に帯びて、
鎧を身につけ、
尋ねて岩窟に到着しました。

刀を抜いて、
『敬い、
天皇の御言を受けて、
陸海に苦労して、

風で髪をけずり、
雨で体を濯いで、

草を枕にし、
いばらを敷物としてきたのは、

これ全て、
その子を愛しみ、
父業(おやのわざ)に継がせるためだ。

これお前は、
威(かしこ)い神だが、

愛しい子を一口にした。

今夜、
子が消え、

跡を追い、
尋ね求めてここに到着した。

命を亡くすことは畏れない。

報復しようと思い、
故にやって来たのだ』
といいました。

既に、
その虎は前進し、
口を開けてかみつこうとしました。

巴提便は、
たちまち、
左手をのばして、
その虎の舌をとり、

右手で刺し殺し、
皮を剥ぎ取り還りました」
といいました。

親が他国で苦労を重ねた。
その苦労も、

全て、
自分の仕事を子どもに継がせるため。

頑張って仕事を終え、
帰国の途中に子どもを失ってしまった。

親が子を亡くす…
悲しいお話です。

明日に続きます。

読んで頂き
ありがとうございました。


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