日本書紀 巻第二十六
天豊財重日足姫天皇 八
・有間皇子を絞首刑
十一日、
丹比小沢連国襲
(たじひのおざわのむらじくにそ)を
遣わして、
有間皇子を
藤白坂(ふじしろのさか)で
絞めさせました。
この日、
塩屋連鯯魚(しおやのむらじこのしろ)、
舍人の新田部連米麻呂
(にいたべのむらじこめまろ)を
藤白坂で斬りました。
塩屋連鯯魚は、
誅(ころ)されるに臨んで、
「願わくは、
右手で、
国の宝器を作らせてください」
といいました。
守君大石
(もりのきみおおいわ)を上毛野国へ、
坂合部薬(さかいべのくすり)を尾張国へ、
流しました。
(或る本は云う、有間皇子は、蘇我臣赤兄(そがのおみあかえ)、塩屋連小戈(しおやのむらじおほこ)、守君大石(もりのきみおおいわ)、坂合部連薬(さかいべのむらじくすり)と、短籍(たんじゃく)を取って、謀反の事を占いました。
或る本は云う、有間皇子は、「先に宮室(おおみや)をやき、五百人で一日と両夜、牟婁津(むろのつ)でむかえうち、疾(はや)く水軍で淡路の国との間を断ち、牢にとじこめたようにしたなら、成功しやすい」といいました。
或る人が諌めて、「いけません。計所はその通りですが、徳がありません。まさに今、皇子の年はやっと十九です。成人には及んでおりません。成人に至り、その德を待ち受けるのがよいでしょう」といいました。
ほか日、有間皇子は、一つの判事(ことわるつかさ)と謀反を興そうとした時、皇子は案机(おしまづき)の脚がわけも無く、自ずと壊れました。その謨(はかりごと)は止められず、遂に誅戮を被りました。)
・藤白坂(ふじしろのさか)
和歌山県海南市内海町藤白
・短籍(たんじゃく)
和歌、俳句、絵などを書く料紙
・判事(ことわるつかさ)
朝廷の役人
・案机(おしまづき)
机
(感想)
(斉明天皇4年11月)
11日、
丹比小沢連国襲を派遣して、
有間皇子を藤白坂で絞首しました。
この日、
塩屋連鯯魚、
舍人の新田部連米麻呂を
藤白坂で斬りました。
塩屋連鯯魚は、
誅殺されるに臨んで、
「願わくは、
右手で、
国の宝器を作らせてください」
といいました。
守君大石を上毛野国へ、
坂合部薬を尾張国へ、流しました。
(或る本は云う、有間皇子は、蘇我臣赤兄、塩屋連小戈、守君大石、坂合部連薬と、短籍を取って、謀反の事を占いました。
或る本は云う、有間皇子は、「先に宮室をやき、500人で一日とニ夜、牟婁の港で迎え撃ち、いち早く水軍で淡路とのあいだを断ち。牢にとじこめたように囲んだなら、成功しやすい」といいました。
或る人が諌めて、「いけません。計画はその通りですが、徳がありません。まさに今、皇子の年はやっと十九です。成人には及んでおりません。成人となり、その德を待ち受けるのがよいでしょう」といいました。
ほか日、有間皇子は、ひとりの判事と謀反を興そうとした時、皇子の机の脚が理由も無く、自ずと壊れました。しかし、その謀りごとは中止されず、遂に誅殺されてしまいました)
明日に続きます。
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