リートリンの覚書

麁服と繒服 5 絹と中国の神話 絹の歴史・中国編


絹と神話


絹と人間の関わりは、
あまりにも遠い昔のことなので
確かなことはわかりません。

しかし、
中国では人と絹にまつわる神話が
数多くあります。
その一部をご紹介しましょう。


古代三皇の最初の皇帝
羲皇(きおう)と絹にまつわる神話


中国がまだ氏族単位の
原始的な生活をしていたころのことです。

東方地方に
伏羲(ふつぎ)氏と呼ばれる
氏族が住んでいました。

その長は初めて牧畜をおこし、
また漁網の作り方などを考案して
氏族をよく治めていました。

その長は、
太陽のように輝いていたので
太昊(たいこう・太陽・天の日)といわれ、

古代三皇の最初の皇帝、
羲皇(きおう)と呼ばれるようになりました。

太昊が絹糸で目の粗い絹織物(鏸帛)を
初めてつくり、
冬の寒さから身を守る術を
教えたといわれています。

軽くて暖かく着心地のよい絹への
感謝の念はやがて、
羲皇崇敬の念となり、

「蚕は羲皇の生まれ変わり」
(羲皇化蚕)の神話を生みだしました。


中国五帝の最初の帝王
黄帝と絹にまつわる神話


中国五帝の
最初の帝王・黄帝について
「通鑑綱目(つうかんこうもく)」では、

黄帝の正夫人が
屋内での蚕飼(こがい)の方法を編み出し、
人々に教えひろげたと記載しています。

以上、
神話から読み解きますと、

絹は農耕牧畜の始まった
新石器時代の初めから、
衣服材料として使われていたと思われます。


絹の歴史(中国)


1958年、
中国浙江省(せっこう)の
銭山漾(せんざんよう)遺跡から
4750年ほど前の絹が出土しました。

その糸は、糸の表面に光沢がありました。

蚕の吐く繭糸は、
光沢のある二本のフィブロイン糸が、
それらを接着させている
セリシンといわれる膠着物によっておおわれ、
一本の繭糸となっています。

セリシンは弱いアルカリ液、
たとえば草木灰の上澄液(灰汁)で煮ると
容易にとり除かれ、

真珠色に輝くフィブロイン糸を
得ることができます。
これが絹糸です。

光沢があるということは、
精錬する技術を持っていたことになります。

また、
驚くべきことに出土した絹織物は
たて糸、よこ糸ともに
撚りがかけられていませんでした。

つまり、
撚りなしでたて糸にできるほど
長い繭糸を繰り取れる
繰糸(そうし)技術をも
持っていたことになります。

絹と人との関わり合いは、
農耕牧畜の始まった
新石器時代の初めからのようです。

そして、遺跡からの出土品から推測すると、
5000年以上前には、
現在の繰糸法の基本や精錬技術を
持っていたようです。 

また3000年以上前の殷・周の時代には
三原色の原理が知られ、
多彩な絹織物が
染められていたと考えられています。

そして、漢時代になると、
現代技術でも凌駕することが困難と
言われる多様な絹が作られ、
華麗な絹文化を築いていました。


感想

繒服(にぎたえ)を勉強するなら、

もう、いっそ絹の勉強もしちゃえ!
というわけでしばらく絹の歴史を
勉強していきたいと思います。

絹のことが書かれている本を
いくつか読ませていただきました。

その中には、
中国の絹にまつわる伝説が
記載されていました。

絹にまつわる中国の伝説面白だなぁと、
読んでみると…
(実績ばかりでつまんねー話😓)

😶
いや、名君を褒め称える
素晴らしいお話でしたねー。

大国が出来る前から
養蚕は行われていたという事が
伝説から読み取れますねー。

あーさてー。

遺跡からの出土品からの分析には、
驚きましたね。

5000年ほど前に、
現在と同じレベルの技術があった😳

日本が
その技術に追いついたのは江戸時代です。

それまでは高級な絹は、
中国から輸入していましたから。

いや〜、すごいですね。

さて、
何かコメントをと思ったのですが…
正直これ以上はでてこない。

ので、本日はこれぐらいで。
明日も絹について調べていきます。

最後まで読んで頂き
ありがとうございました。


参考にさせていただいた本

・シルクのはなし 
小林勝利 鳥山國士

・絹の文化誌 
篠原昭 嶋崎昭典 白倫 編著

・皇后さまとご養蚕 
扶桑社

・麁服(あらたえ)と繪服(にぎたえ)
天皇即位の秘儀 践祚大嘗祭と二つの布
(著)中谷 比佐子・安間 信裕 監修 門家 茂樹


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