日本書紀 巻第二十九
天命開別天皇 七十三
・人夫の武器を検校する
・全国の民の消息を巡察する
八月十二日、
天皇は淨土寺に幸しました。
十三日、
川原寺に幸しました。
稻を衆僧(しゅうそう)に施しました。
二十日、
耽羅(たむら)に遣わしたもの等が、
還りました。
九月九日、
天皇は旧宮(ふるみや)の安殿の庭で
宴(とよのあかり)をしました。
この日、
皇太子以下、忍壁皇子に至るまで、
布を賜りましたが、各々差がありました。
十一日、
宮処王(みやのところのおおきみ)、
広瀬王(ひろせのおおきみ)、
難波王(なにわのおおきみ)、
竹田王(たけだのおおきみ)、
弥努王(みののおおきみ)を
京、及び畿內に遣わして、
各々、人夫(おおみたから)の
兵(つわもの)を
検(あらた)めさせました。
十五日、
直廣肆の都努朝臣牛飼
(つののあそみうしかい)を
東海の使者として、
直廣肆の石川朝臣蟲名
(いしかわのあそみむしな)を
東山の使者として、
直廣肆の佐味朝臣少麻呂
(さみのあそみすくなまろ)を
山陽の使者として、
直廣肆の巨勢朝臣粟持
(こせのあそみあわもち)を
山陰の使者として、
直廣參の路真人迹見
(みちのまひととみ)を
南海の使者として、
直廣肆の佐伯宿禰広足
(さえきのすくねひろたり)を
筑紫の使者として、
各々に判官を一人と
史(ふびと)を一人つけて、
国司、郡司、及び百姓の
消息(しょうそく)を巡察させました。
この日、
詔して、
「凡そ、
諸々の歌男(うたお)、歌女(うため)、
笛を吹く者は、
卽ち、己の子孫に伝え、
歌笛(うたぶえ)を習わせるように」
といいました。
・衆僧(しゅうそう)
大勢の僧侶
・耽羅(たむら)
済州島
・人夫(おおみたから)
人民
・兵(つわもの)
武器
・消息(しょうそく)
1 人や物事の、その時々のありさま。動静。状況。事情
(感想)
(天武天皇14年)
8月12日、
天皇は淨土寺(※山田寺)に行幸しました。
※山田寺(やまだでら)は、奈良県桜井市山田にある法相宗の寺院です。山号は大化山。本尊は十一面観音。蘇我倉山田石川麻呂の発願により建立されました。法号を浄土寺または華厳寺と称します。
13日、
川原寺に行幸しました。
大勢の僧侶に稲を施しました。
20日、
耽羅に派遣した使者たちが、帰国しました。
9月9日、
天皇は旧宮の安殿の庭で宴会をしました。
この日、
皇太子以下、忍壁皇子に至るまで、
布を与えましたが、各々差がありました。
11日、
宮処王、広瀬王、難波王、
竹田王、弥努王を
京、および畿内に派遣して、
各々、人民の武器を
調べて正しくさせました。
15日、
直広肆の都努朝臣牛飼を
東海の使者として、
直広肆の石川朝臣虫名を
東山の使者として、
直広肆の佐味朝臣少麻呂を
山陽の使者として、
直広肆の巨勢朝臣粟持を
山陰の使者として、
直広參の路真人迹見を
南海の使者として、
直広肆の佐伯宿禰広足を
筑紫の使者として、
各々に判官を一人と
史(ふびと)を一人つけて、
国司、郡司、および百姓の
状況、事情を巡察させました。
この日、
詔して、
「およそ、
諸々の歌男、歌女、笛を吹く者は、
己の子孫に伝え、
歌笛を習わせるように」
といいました。
明日に続きます。
読んでいただき
ありがとうございました。
ランキングに参加中!励みになります。
ポチッとお願いします。