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リートリンの覚書

「大嘗祭」 大嘗祭の移り変わり



大嘗祭の基本形の成立


光仁天皇朝は、
奈良仏教政治を清算し、
神道の尊重の立場を
はっきりとうちだした時代です。

また次の桓武天皇朝は
神道の展開と朝廷儀礼の整備、
律令体制の再建、
平安遷都と注目すべき時代です。

光仁天皇・桓武天皇の時代に
大嘗祭の変革がなされ、

そして平城天皇の時代に、
シナ風を排除し、
国風を打ち出した大嘗祭の基本形が
作られたと思われます。


大嘗祭中断の時代


応仁元年から始まった応仁の乱以降、
時代はこれから戦国時代に突入します。

それから二百二十一年あまりの歳月、
大嘗祭が中断してしまいました。

その間、
天皇は大嘗祭の再興を
心から願っていらっしゃいました。

再開されても、
滞りなく大嘗祭が行われるよう、
研究し、後世に伝え続けました。


大嘗祭、中断した時代の天皇


後奈良天皇が自らしたためられた
「宣命案」が、
京都御所の東山御文庫に残されています。



宣命案現代語訳(一部割愛)
「伊勢神宮にかしこみつつしんで申し上げます。自分が皇位についてすでに二十年。しかし、いまだに大嘗祭を行いたいという願いを達することができていません。これは、怠る気持ちがあってのことではなく、国の力の衰えによるものです。どうぞおわかりください。
国内に正しい公の道理は行われず、下剋上の風潮がさかんで、各地の貢物も滞り、武士らが力に任せ横取りして、神社の行事も、朝廷に集う皇族、貴族、役人らもみな衰えてしまっています。皇位の将来さえも危ない状態です。どうか神の力をいただき、国内の平和回復、民衆の繁栄、皇位の安定を実現し、ついに大嘗祭も行えますように、つつしみかしこんでお願い申し上げます。」
(引用・天皇と国民をつなぐ大嘗祭 高森明勅)


大嘗祭の移り変わり


徳川綱吉の時代に
念願かない大嘗祭が復活します。

しかし、
朝廷の権威復活を恐れた
徳川幕府によって
はなはだしく縮小されたものでした。

戦後の日本は
民主主義国家へと変わり

憲法20条「信教の自由」による
政教分離原則が確立ました。

昭和以前の大嘗祭は国家的行事でしたが、
平成以降の大嘗祭は
私的行事へと姿を変えました。


(感想)

後奈良天皇のしたためられた
「宣命案」を読みますと、

政がなんたるかを
しっかりと理解していらっしゃったことが
わかります。

「国内の平和回復」があってこそ、
民衆の繁栄がある。

そして、
「民衆の繁栄」があってこそ、
皇位が安定する。

現代にも通じます。

平和であるから、国の繁栄がある。

平和を維持するためには、
何をすべきか?
考えさせられます。

続く



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