リートリンの覚書

日本書紀 巻第二十六 天豊財重日足姫天皇 二十 ・ 難波宮へ行幸



日本書紀 巻第二十六 
天豊財重日足姫天皇 二十

・ 難波宮へ行幸



十二月二十四日、
天皇は難波宮に幸しました。

天皇は、
福信(ふくしん)が乞う気持ちに隨い、

筑紫に幸して、
まさに救軍を遣わそうと思い。

初めに幸して、
諸々の軍器(つわもの)を備えました。

この歲、
百濟のために新羅を伐とうと思い、

乃ち、
駿河国に勅して、
船を造らせました。

すでに終わり、
続麻郊(おみの)にひいて至った時に、

その船は夜中に理由もなく、
艫舳(へとも)があい反りました。

衆は終には
破れるだろうと知りました。

科野国(しなののくに)は
「蠅が群がり、
西に向かって、
巨坂(おおさか)を飛び越えていきました。

大きさは十圍ほど、
高さは蒼天(あめ)に届くほどでした」
といいました。

救軍が敗れると
怪でさとりました。

童謠があって、 

まひらく つのくれつれ 
をのへたを らふくのりかりが 
みわたとのりかみ 
をのへたを らふくのりかりが 
かうしとわ よとみ 
をのへたを らふくのりかりが

といいました。



・福信(ふくしん)
鬼室福信
・軍器(つわもの)
兵器
・続麻郊(おみの)
伊勢国多気郡麻績郷=現在の伊勢市西北辺り
・艫舳(へとも)
船尾から船首
・巨坂(おおさか)
信濃と美濃の国堺の神坂峠か?



(感想)

(斉明天皇6年)

12月24日、
天皇は難波宮に行幸しました。

天皇は、
福信が救援を乞う気持ちに従い、

筑紫に行幸して、
まさに救軍を派遣しようと思い。

初めにここに行幸して、
諸々の兵器を準備しました。

この歲、
百済のために、
新羅を討伐しようと思い、

そこで、
駿河国に勅して、
船を造らせました。

すでに完工して、
続麻郊にひいて到着した時に、

その船は夜中に理由もなく、
船尾から船首がともに反りました。

衆人は百済が終に
破れるだろうと知りました。

信濃国が、
「蠅が群がり、西に向かって、
巨坂を飛び越えていきました。

大きさは十人で囲むほど、
高さは蒼天(あめ)に届くほどでした」
といいました。

救軍が敗れると
怪しい兆しで
さとりました。

童謠があって、 

まひらく つのくれつれ 
をのへたを らふくのりかりが 
みわたとのりかみ 
をのへたを らふくのりかりが 
かうしとわ よとみ 
をのへたを らふくのりかりが

といいました。

今日の童謡ですが、
全く意味がわからず。

参考にさせていただいているの方々も
意味不明とのこと。

謎の歌です。

明日に続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。


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