日本書紀 巻第二十九
天命開別天皇 三十四
・高麗・新羅、使者を派遣する
五月一日、
勅して、
絁(ふとぎぬ)、綿(わた)、
絲(いと)、布(ぬの)を
京(みやこ)の内の二十四の寺に
施しましたが、
各々差がありました。
この日、
始めて金光明経(こんこうみょうきょう)を
宮中及び諸々の寺で説かせました。
十三日、
高麗が、
南部(なむほう)の大使の
卯問(もうもん)、
西部(さいほう)の大兄(だいきょう)の
俊徳(しゅんとく)等を遣わして、
朝貢しました。
なお、
新羅が、
大奈末(だいなま)の考那(こうな)を
遣わして、
高麗の使人の卯問等を筑紫に送りました。
二十一日、
小錦下の
秦造綱手(はだのみやつこつなで)が
卒(お)わりました。
壬申の年の功により、
大錦上の位を贈りました。
二十七日、
小錦中の
星川臣摩呂(ほしかわのおみまろ)が
卒わりました。
壬申の年の功をもって、
大紫の位を贈りました。
六月五日、
新羅の客の項那等が帰国しました。
八日、
灰が零(ふ)りました。
十四日、
甚だしく雷電しました。
・南部(なむほう)
高麗の地域の名前
・西部(さいほう)
高麗の地域の名前
・大兄(だいきょう)
高麗の官位のひとつ
・大奈末(だいなま)
新羅の官位のひとつ
(感想)
(天武天皇9年)
5月1日、
勅して、絁、綿、絲、布を、
京の内の二十四の寺に施しましたが、
各々差がありました。
この日、
始めて金光明経を
宮中および諸々の寺で説かせました。
13日、
高麗が、
南部の大使の卯問、
西部の大兄の俊徳らを派遣して、
朝貢しました。
なお、
新羅が、
大奈末の考那を派遣して、
高麗の使者の卯問らを筑紫に送りました。
21日、
小錦下の秦造綱手が亡くなりました。
壬申の年の功績により、
大錦上の位を贈りました。
17日、
小錦中の星川臣摩呂が亡くなりました。
壬申の年の功績により、
大紫の位を与えました。
6月5日、
新羅の客の項那らが帰国しました。
8日、
灰が降りました。
14日、
雷電が、
はなはだしく鳴りました。
明日に続きます。
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