リートリンの覚書

日本書紀 巻第二十 渟中倉太珠敷天皇 九 ・皇后と子どもたち



日本書紀 巻第二十 渟中倉太珠敷天皇 九

・皇后と子どもたち



五年春三月十日、
有司が、
皇后を立てるよう請いました。

詔して、
豊御食炊屋姫尊
(とよみけかしきやひめのみこと)
を立てて皇后としました。

二男五女を生みました。

其の一は、
菟道貝鮹皇女
(うじのかいだこのひめみこ)
といいます。
(更の名は、別名を菟道磯津貝皇女(うじのしつかいのひめみこです))
これは
東宮聖德(ひつぎのみこしょうとく)
に嫁ぎました。

其の二は、
竹田皇子(たけだのみこ)
といいます。

其の三は、
小墾田皇女(おはりだのひめみこ)
といいます。
これは、
彦人大兄皇子(ひこひとのおおえのみこ)
嫁ぎました。

其の四は、
鸕鷀守皇女(うもりのひめみこ)
といいます。
(更の名は、軽守皇女(かるのもりのひめみこです)

其の五は、
尾張皇子(おわりのみこ)
といいます。

其の六は、
田眼皇女(ためのひめみこ)
といいます。
これは、
息長足日広額天皇
(おきながたらしひひろぬかのすめらみこと・舒明)に嫁ぎました。

其の七は、
桜井弓張皇女
(さくらいのゆみはりのひめみこ)
といいます。



(感想)

敏達天皇4年11月、
皇后・広姫が薨じました。

そこで、
有司が皇后を立てるよう請いました。

次の皇后となったのは
豊御食炊屋姫尊
(とよみけかしきやひめのみこと)。

後の推古天皇です。
日本史上最初の女性天皇として有名ですね。

さて、
教科書に記載されている人物が
次々と登場してきましたね。

面白くなってきましたよ。

明日に続きます。

読んで頂き
ありがとうございました。


ランキングに参加中!励みになります。
ポチッとお願いします。

にほんブログ村 歴史ブログ 神話・伝説へ  

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

最近の「日本書紀・現代語訳」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事