リートリンの覚書

教科書に物申す

今日は歴史のお話ではありません、
独り言です。

昨日の記事にアップしようと
思っていた文章なのですが、
記事を書く際、
何度も考えこんでしまいました。

おかげで時間切れになってしまいました。
ですから短い文ですが本日に回しました。

何を悩んだのかといいますと、
教科書を読んでいて
少し違和感を覚えまして、
今日はそちらの文を
教科書からそのまま
引用させていただきます。


日本人の原型は古くからアジア大陸に住んでいた人びとの子孫の縄文人であり、その後、もともとは北アジアにすんでいて弥生時代以降に渡来した人びとなどとの混血を繰り返し、現在の日本人が形成されたとされる。また、現在日本人でも北海道に住むアイヌの人びとや沖縄など南西諸島の人びとは、より強く縄文人の特徴を受け継いでいると考えられている。
引用:詳説 日本史B 改訂版 山川出版社


確かに、
後半のアイヌの人々や沖縄の人々の
遺伝子は縄文人の遺伝子の特徴を
受け継いでいるという結果が
出ているのでこちらは信用できます。

しかし、
一番引っかかった場所は、

 “日本人の原型は古くからアジア大陸に住んでいた人びとの子孫の縄文人であり”

う~ん。何かが引っかかる…
何だ…今日も引っかかりますねぇ…
参ったなぁ。

確かに母親から受け継がれる
ミトコンドリアDNAで
日本人のルーツを調べると、
似ているDNAは東アジアの人びとです。

しかし以前、
日本人のルーツについて
DNAから探る本を読んだ際、
筆者の方が縄文時代を
担っていたのは
ハプロブループD(Y遺伝子)の人々だと
考えられる。と述べていました。

父親から受け継がれるY遺伝子。

現在、このハプログループDは、
日本列島・南西諸島、アンダマン諸島、
チベット高原で
観察されるほか限られた地域のみです。

本当に古くから
アジア大陸に住んでいたのなら、
もっと色々な地域でD遺伝子が
残っていてもいいような気がするのは
自分だけでしょうか?

また、
最新のゲノム遺伝子の解析によりますと、
縄文人のDNAは
東アジア人の共通祖先から
かなり古い時代に
分かれた可能性が高いそうです。

本当に古くからアジア大陸に
住んでいたのか?

DNAを調べる度に新しい論が出てくる
日本人のルーツ。

疑問が残る点が多々あることから、
このように断言して記述するのではなく、

“出アフリカをした人類が
新天地を求めたどり着いた
人々の子孫が縄文人であり”

とか、ぼかして記述した方が
よいのではないかと…

また、出アフリカは三度行われています。

その出アフリカ三系統(ハプログループY遺伝子)
日本列島に到着し、

お互い共存しあい、
日本という国を作ってきたこと。

日本人のルーツを教科書で語るのなら、
是非この話も記載して欲しい。

また、

“その後、もともとは北アジアにすんでいて弥生時代以降に渡来した人びと”

この部分も気になります。

以前に調べた際、
弥生時代に渡来した人たちの遺伝子は
恐らく長江文明を担っていた人々だと
考えられています。

彼らは黄河文明の勢力に押され
散り散りになりました。

一部はタイの辺りに逃げのび、
また一部が海を渡り南西諸島へ、
また一部が朝鮮半島に逃げのび
その後日本へやって来たとのこと。

まぁ、長江文明に関しては
ここ最近注目され始めた文明ですから
記述が変なのも無理もないとは思います。

しかし…北アジアどこから出て来た?

そして、教科書の注意書きにも疑問が

“現在のアジア人(アジア系人種)は、数万年前にアフリカから東南アジアにやってきた人びとの子孫である東南アジア人と、3万~2万年前に北アジアの寒冷な気候に適応するように変化した人々の影響が強い北東アジア人にわけられる。”

とあります。

遺伝子からルーツを探ったことがあると
違和感を覚えますよ。

新しい論文が出た祭にはきちんと議論し、
教科書を書き換えていく必要があると、
自分は思うのです。

歴史が好きで研究している方の文は
本当に熱意が伝わってきて、
読んでいる自分まで
嬉しくなって来るのですが。

正直いいますと、この教科書、

文章が美しくない。

都合のよい所だけを
切り取りつなげているような気が
伝わって来る。

著者の主張がガンガン伝わってきて、
気持ちが悪い。
(やたらと、出てくるんですよね。アジア大陸・中国・朝鮮半島どんだけ押してくるんだって感じで凄く嫌)

だから分かりづらい。

今後はツッコミを入れるために
読んで行こうと思います。


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