日本書紀 巻第二十一 橘豊日天皇 五
・天皇の願い
二年夏四月二日、
新嘗(にいなえ)を
磐余川(いわれ)の河上で
おこないました。
この日、
天皇は病となり、
還り、
宮に入りました。
群臣が侍っていました。
天皇は群臣に詔して、
「朕は三宝(さんぽう)に
帰したいと思う。
卿等、これを議(はか)れ」
といいました。
群臣は、
朝に入り議り、
物部守屋大連
(もののべのもりやおおむらじ)と
中臣勝海連
(なかとみのかつみのむらじ)
が詔の議に違って、
「何で国神に背いて、
他神を敬うのだろうか。
由来(もとより)、
このようなことは識(し)らない」
といいました。
蘇我馬子宿禰大臣
(そがのうまこのすくねのおおおみ)は、
「詔に随い、
助け奉るべきだ。
だれが、
異なる計(はか)りを生じるのだ」
といいました。
ここにおいて、
皇弟皇子が、
(皇弟皇子とは、穴穂部皇子のことです。すなわち、天皇の庶弟です)
豊国法師(とよくにのほうし)
(名を欠く)を引き連れて、
内裏に入りました。
物部守屋大連は、
睨んで大いに怒りました。
・三宝(さんぽう)
本来は仏・法・僧。ここでは仏教のこと。
(感想)
用明天皇2年夏4月2日、
新嘗(にいなえ)を
磐余川(いわれ)の河上で
行いました。
この日、
天皇は病気となり、
もどり、双槻宮に入りました。
群臣がお側仕えしていまいた。
天皇は群臣に詔して、
「朕は仏教に帰依したいと思う。
卿たちよ、これを話し合え」
といいました。
うーむ。
天皇は仏教に帰依したい、
と思っているようですが、
一存では決められないようです。
普通の封建制度なら、
この様な話し合いはもたれず、
独断で決められたと思うのです。
しかし、
大和は、
他の国々とちょっと違うようですね。
なんでもかんでも、
話し合い。
この辺は、
昔から変わってないな、
日本。
群臣は、
朝廷に入り話し合いました。
物部守屋大連と中臣勝海連が
詔の考えに背き、
「何故!
国神に背いて、
他神を敬うのだろうか!
もとより、
このようなことは聞いたことがない!」
といいました。
蘇我馬子宿禰大臣は、
「詔に従い、
天皇を助け奉るべきだ。
誰が、
天皇の意と異なる考えを生じるのだ」
といいました。
この時、
天皇の母違いの弟・穴穂部皇子が、
豊国法師を引き連れて、
内裏に入りました。
物部守屋大連は
睨んで大いに怒りました。
話し合い、
終わってないでしょうが!
終わってないでしょうが!
何を勝手にことを進めているんだよ!
穴穂部皇子め
と、
物部守屋大連の声が聞こえてきそうです。
さて、
仏教に帰依したいと希望する天皇。
それに対して、
浮き彫りとなった
仏教推進派と仏教反対派の対立はいかに…
明日に続きます。
読んでいただき
ありがとうございました。
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