リートリンの覚書

日本書紀 巻第十五 弘計天皇 七 ・父の遺骨を探す ・老婆・置目



日本書紀 巻第十五 弘計天皇 七

・父の遺骨を探す
・老婆・置目



二月五日、
詔して、
「先王は、多難に遭い、
荒郊(あらのら)にて命を落とした。

朕は幼年であり、
逃亡し自ら匿(か)くした。

いろいろあったが、
求めて迎えられた。

大業を受け継ぎ、
のぼっている。

廣く、
御骨を求めたが、
よく知る者がいなかった」
といいました。

詔をおえて、
皇太子・億計(おけ)と、
泣哭(きゅうこく)し憤り、嘆いて、
こらえることができませんでした。

この月、
耆宿(ふるおきな)を招集して、
天皇がみずから一人、一人、問いかけました。

一老女がいて進み出て、
「置目(おきめ)は、
御骨が埋められた処を知っています。
よろしければお示ししましょうか」
といいました。

(置目は、老女の名前です。近江国狭々城山君
(おうみのくにささきやまぎみ)の祖で倭帒宿禰(やまとふくろのすくね)の妹で、名を置目(おきめ)といいます。下の文に見えます)

ここにおいて、
天皇と皇太子・億計は、
老女をひきいて、

近江国来田絮蚊屋野
おうみのくにくたわたのかやの)の中に
幸し、

掘り出してみると、
老女の語ったとおりでした。

穴に臨んで哀號(あいごう)し、
言うことは深く、
また深く悲しみました。

古より以来(このかた)、
このような酷いことはありせんでした。

仲子(なかちこ)の尸(しかばね)と、
御骨(みかばね)とがまじって、
よく分ける者がいませんでした。

ここに、
磐坂皇子(いわさかのみこ)の乳母があり、
奏して、

「仲子は、上の歯が抜け落ちていました。
これにより分けるとこができるでしょう」
といいました。

ここにおいて、
乳母によって
髑髏(みかしらのほね)を分けたのですが、

四支(むくろ)の諸骨を
分けるのが難しいものでした。

これによりて、
蚊屋野の中に双陵を造立しました。
相似て一つのようでした。
葬儀は異なるところがありませんでした。

老女・置目(おきめ)に詔して、
宮の傍らに近い処に居させました。
優遇して欠乏がないようにしました。

この月、詔して、
「老女は、
伶俜(さすらえ)で羸弱(あつしれ)である。
歩行も不便である。

綱を張り渡し、
その扶(たす)けで出入りすることにしよう。

縄の端には鐸(たく)を懸け、
謁者(ものもうしひと)を
勞(つか)れさせるな。

入ったらすぐに放せ。
朕は汝が来たと分かるから」
といいました。

そこで老女は、
詔を奉じ、
鐸をならして進みました。

天皇は、
はるかに鐸の音を聞き、歌って、

浅茅原や 痩せ地を過ぎて
百伝う 
鐸の音が鳴っているよ
置目が来たらしい



・泣哭(きゅうこく)
泣き叫ぶこと
・耆宿(ふるおきな)
経験・徳望のある老人
・哀號(あいごう)
人の死を悲しんで大声で泣き叫ぶこと。また、その泣き声
・髑髏(みかしらのほね)
頭蓋骨
・四支(むくろ)
手足
・伶俜(さすらえ)
=れいへい・孤独である、一人ぼっちである
・羸弱(あつしれ)
=るいじゃく・からだが弱いこと。衰弱すること。
・謁者(ものもうしひと)
取り次ぎの人



(感想)

顕宗天皇元年2月5日、
詔して、
「先王(市辺押磐皇子)は、
多難に遭い、
荒郊にて命を落とした。

朕は幼年であり、
逃亡し自ら隠れた。

色々あったが、
求められて迎えられた。

大業を受け継ぎ、
皇位にのぼっている。

そこで、
広く、父・先王の御骨を求めたが、
よく知る者がいなかった」
といいました。

詔をおえて、皇太子・億計と、
泣き叫び、憤り、嘆いて、
こらえることができませんでした。

この月、
経験のある老人を招集して、
天皇がみずから
一人、一人、に問いかけました。

一人の老女がいて進み出て、
「置目は、
御骨が埋められた処を知っています。
よろしければお示ししましょうか」
といいました。

(置目は、老女の名前です。近江国狭々城山君の祖で倭帒宿禰の妹で、名を置目といいます。下の文に見えます)

そこで、
天皇と皇太子・億計は、
老女を連れて、
近江国来田絮蚊屋野の中に行幸し、

掘り出してみると、
老女の語ったとおりでした。

穴に臨んで悲しんで大声で泣び、
言うことは深く、
また深く悲しみました。

古より以来(このかた)、
このような酷いことはありせん。

仲子の尸(しかばね)と、
御骨(みかばね)とが混じって、
よく分ける者がいませんでした。

ここに、
磐坂皇子の乳母がいて、

奏して、
「仲子は、上の歯が抜け落ちていました。
これにより分けるとこができるでしょう」
といいました。

そこで、
乳母の助言によって
頭蓋骨を分けたのですが、
手足の諸々の骨を分けるのが
難航を極めました。

そこで、
蚊屋野の中に双陵を造立しました。
双方、似て一つのようでした。
葬儀は異なるところがありませんでした。

老女・置目(おきめ)に詔して、
宮の傍らに近い処に居させました。
優遇して不足がないようにしました。

この月、詔して、
「老女は、一人ぼっちで、衰弱している。
歩行も不便である。

綱を張り渡し、
その扶(たす)けで出入りすることにしよう。

縄の端には鐸(たく)を懸け、
取り次ぎの人を勞(つか)れさせるな。

入ったらすぐに放せ。
朕は汝が来たと分かるから」
といいました。

そこで老女は、
詔を奉じ、鐸をならして進みました。

天皇は、
はるかに鐸の音を聞き、歌って、

浅茅原や 痩せ地を過ぎて
百伝う 
鐸の音が鳴っているよ
置目が来たらしい

天皇になり、
まず、行ったことが、
父・市辺押磐皇子の遺骨を探し出すこと…

顕宗天皇にとって、
悔しくてたまらないことだったのでしょう。

見つかって良かったです。

さて、
顕宗天皇は、
他にどのようなことをなさったのでしょうか?

明日に続きます。

読んで頂き
ありがとうございました。


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