リートリンの覚書

日本書紀 巻第十九 天国排開広庭天皇 五十二 ・白猪屯倉・余昌の願い ・民の思い



日本書紀 巻第十九 天国排開広庭天皇 五十二

白猪屯倉
・余昌の願い
・民の思い



秋七月四日、
蘇我大臣稲目宿禰
(そがのおおおみいなめのすくね)、
穗積磐弓臣
(ほづみのいわゆみのおみ)
等を遣わして、

吉備の五つの郡(こおり)に、
白猪屯倉(しらいのみやけ)を置かせました。

八月、
百済の余昌(よしょう)は、
諸臣等に語って、
「少子(やつかれ)は、
今、願わくは、
孝王(ちちのこきし)を奉るために、
出家し修道(しゅうどう)しようとおもう」
といいました。

諸臣・百姓は答えて、
「今、君王が出家し修道して、
教えを奉りたいと思うこと。

あぁ、
前の慮を定めず、

後に大患(たいかん)があったのは、
誰の過ちでしょうか。

百済国は、
高麗・新羅が
争い滅ぼそうと欲している所です。

始めて開国してからこの歳にいたるまで。

今、
この国の宗を、
まさに何の国に
授けようとしているのでしょうか。

要須(ようしゅ)の道理を
明らかにして教えてください。

もし耆老(おきな)の言うことを
用いていたなら、

決して、
こんなことには至らなかったでしょう。

請います。
前の過ちをくいあらためて、
出俗(しゅつぞく)するなどと、
勞(つか)れさせないでください。

もし願いを果たしたいと欲するのなら、
国民を度(いえで)させてください」
といいました。

余昌は答えて、
「諾」
といいました。

ただちに就き、
臣下と図りました。

臣下は遂に相議(あいぎ)して、

百人を度(いえで)させ、
多くの幡(はた)、
蓋(きぬがさ)を造り、
種々の功徳をしました。

云々。



・孝王(ちちのこきし)
聖明王
・修道(しゅうどう)
宗教上の修行を行う
・大患(たいかん)
1・思い病気・大病2・非常な心配事。大きな不安
・要須(ようしゅ)
無くてはならないもの。必要。必須
・耆老(おきな)
老人
・出俗(しゅつぞく)
俗世界をはなれること。脱俗



(感想)




(欽明天皇16年)

秋7月4日、
蘇我大臣稲目宿禰、穂積磐弓臣らを
派遣して、

吉備の五つの郡に、
白猪屯倉を置かせました。

8月、
百済の余昌は、
諸臣等に語って、
「私は、今、

願わくは、
父王を奉るために、
出家し修行をしたいと思う」
といいました。

諸臣・百姓は答えて、
「今、君王が、
出家して修道し、
教えを奉りたいと…

あぁ、
先々の考慮を定めないで、

新羅に出兵し、
後に大きな不安にいたったのは、
誰の過ちでしょうか。

百済国は、
高麗・新羅が争い滅ぼそうと
思っている所です。

始めて開国してからこの歳にいたるまで…

今、
この国の宗廟を、

まさに
どこの国に授けようとしているのでしょうか。

必要の道理を明らかにして教えてください。

もし、
老人らの言うことを用いていたなら、

決して、
こんなことには至らなかったでしょう。

請い願います。

前の過ちを悔い改めて、
出俗するなどと、
疲れさせないでください。

もし父王を弔い、
願いを果たしたいと思うのなら、

国民を出家させてください」
といいました。

余昌は答えて、
「諾」
といいました。

ただちに就き、
臣下と図りました。

臣下は遂に相議(あいぎ)して、

百人を出家させ、

多くの幡(はた)、
蓋(きぬがさ)を造り、
種々の功徳をしました。

云々。

臣下、民の言うことは、
正しい。

出家して、
父を弔いたい。

かー、
誰のせいで
父王は亡くなったのでしょうかね?

責任を逃れる事は簡単です。

難しいのは、
聖明王の後を継ぐ事です。

明日に続きます。

読んで頂き
ありがとうございました。


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