日本書紀 巻第十七 男大迹天皇 十一
・大兄皇子、宣勅を改めようとする
これによりて、
改めて使いをおくり
宣勅(みことのり)しました。
賜物(たまいもの)、
あわせて、
制旨(みことのむね)を付けて、
表により任那の四県を与えました。
大兄皇子(おおえのみこ)は、
前あった縁があり、
与える国にかかわることをしらず、
晩になり宣勅(みことのり)を知りました。
驚悔(きょうかい)し、
改めようと思いました。
令して、
「胎中天皇
(はらのうちにましますすめらみこと)は、
国に官家を置いた。
軽々しく、
蕃(となりのくに)が乞うがままに、
容易に与えてはならぬ」
といいました。
乃ち、
日鷹吉士(ひたかのきし)を遣わし、
改めて百済の客に宣べました。
使者は答えて、
「父・天皇は便宜を計っています。
勅を与えられ、
すでにおえています。
子である皇子が、
どうして帝の勅に
違えることができましょうか。
令を改めるのは、
道理にかなっていません。
必ずこれは虚でしょう。
もしこれが、
実(まこと)であるなら、
大きな頭の杖をもって打つのと、
小さな頭の杖をもって打つのと、
どちらが痛いでしょうか」
、遂に途中でやめました。
ここにおいて、
ある者は流言(りゅうげん)して、
「大伴大連と哆唎国守穂積臣押山は、
百済より賂(まいな)いを受けた」と。
・制旨(みことのむね)
=せいし・上からの達し
・驚悔(きょうかい)
思いがけない事態にくやむこと
・流言(りゅうげん)
根拠のないうわさ。根も葉もない風説
・賂(まいな)い
まいなう。まいない。金品を贈る。「賂遺」「賂謝」「賄賂(わいろ)」
(感想)
前回までのお話は、
冬十二月、
百済が使者が任那国の上哆唎、下哆唎、娑陀、牟婁の四県を請いました。
哆唎国守である穂積臣押山は、四県は、百済に近く、日本とは遠く隔たっています。百済に与えて合わせて、同じ国とするなら、堅固に存続する対策として、これ以上のものはありません、と提案します。
この提案に大伴大連金村も賛成しました。
そこで、百済に四県を与えることにしました。
その宣勅する使者として物部大連麁鹿火が選ばれましたが、応神天皇が住吉大神から賜った国を勝手に分割しては、後の世まで非難されると、妻に諌められ、病と偽り使者を辞退しました。
冬十二月、
百済が使者が任那国の上哆唎、下哆唎、娑陀、牟婁の四県を請いました。
哆唎国守である穂積臣押山は、四県は、百済に近く、日本とは遠く隔たっています。百済に与えて合わせて、同じ国とするなら、堅固に存続する対策として、これ以上のものはありません、と提案します。
この提案に大伴大連金村も賛成しました。
そこで、百済に四県を与えることにしました。
その宣勅する使者として物部大連麁鹿火が選ばれましたが、応神天皇が住吉大神から賜った国を勝手に分割しては、後の世まで非難されると、妻に諌められ、病と偽り使者を辞退しました。
今日はそのお話の続きです。
継体天皇6年冬12月
これによりて、
改めて使者を送り
宣勅(みことのり)しました。
賜物、あわせて、
制旨を付けて、
百済の上表通りに
任那の四県を百済に与えました。
勾大兄皇子(まがりのおおえのみこ)は、
先に事由があり、
与える国に関することを知らず、
遅く宣勅(みことのり)を知りました。
思いがけない事態に悔やみ、
改めようと思いました。
そこで、令して、
「応神天皇は各国に官家を置いた。
軽々しく、
蕃(となりのくに)が乞うがままに、
容易に与えてはいけない」
といいました。
乃ち、
日鷹吉士を派遣し、
改めて百済の使者に宣べました。
しかし、
使者は答えて、
「父・天皇は便宜を計っています。
すでに勅を与えられ、
すべて終わっています。
子である皇子が、
どうして帝の勅に違えることが
できましょうか。
令を改めるのは、
道理にかなっていません。
ですから、
これは必ず虚言でしょう。
もしこれが、
事実であるというのなら、
大きな頭の杖をもって打つのと、
小さな頭の杖をもって打つのと、
どちらが痛いでしょうか?
自明のことでしょう」
遂に途中で退出しました。
ここにおいて、
ある者はうわさして、
「大伴大連と哆唎国守穂積臣押山は、
百済より賄賂を受けた」と。
歴史の教科書で
任那国が滅んだ理由は、
詳しく記載されていませんでしたが、
今回の4県を失ったことが
かなり関係しているように思います。
ちゃんと、
歴史を学んでいたら、
このようなことはなかったのかもしれません。
政治を担う方々には、
是非、
真実の歴史を学んで頂きたいと
切に請います。
しかし、
百済の使者…
態度悪いですね。
さぞかし勾大兄皇子は、
悔しい思いをしたのでは?
明日に続きます。
読んで頂き
ありがとうございました。
ランキングに参加中!励みになります。
ポチッとお願いします。