東京史跡巡り
隅田宿跡
隅田宿跡現在地 墨田区堤通二丁目二番 都立東白鬚公園当地は古東海道の渡河地で、平安時代の末頃には隅田宿が成立していたといわれています。隅田宿は治承四年(1180)に源頼朝が布陣したと伝わる宿で(「吾妻鏡」)、元来は江戸氏など中世武士団の軍事拠点であったと考えられています。遅くとも南北朝時代までには人と物が集まる都市的な場が形成されたようで、歌人藤原光俊が詠んだという十三世紀中期の歌には、多くの舟が停泊して賑わう様子が描かれています。(「夫木和歌抄」)また、室町時代成立の「義経記」には「墨田の渡り両所」と見え、隅田宿が対岸の石浜付近と一体性を有する宿であったらしいこともうかがえます。対岸との関係については今なお不明な点を多く残しますが、隅田川東岸部における宿の広がりについては、江戸時代に地誌に載る一部の伝承と絵地図が参考になります。それらを分析した研究成果によれば、所在範囲はおよそ図示したように想定されます。なお、人買いにさらわれた梅若丸とその母の悲話を伝えた梅若伝説、そして、罪業深い老婆と娘の悲劇を伝えた石枕の伝説(一ツ家伝説)など、隅田川流域にはいくつかの著名な伝説が残されました。この付近に成立した隅田宿は、そうした伝説を育む場でもあったようです。平成二十五年三月 墨田区教育委員会
所在地
東京都墨田区堤通2丁目2番
最後に
平安時代の末には
隅田宿が成立していたと言われています。
江戸氏など
中世武士団の軍事拠点であったと
考えられていますが、
現在その跡地は、
東白鬚公園となり、
平穏な時が流れていました。