リートリンの覚書

日本書紀 巻第二十五 天萬豊日天皇 四十六 ・白雉3年の出来事



日本書紀 巻第二十五 
天萬豊日天皇 四十六

・白雉3年の出来事



三年春正月一日、
元日礼が終わり、
車駕が大郡宮(おおごおりのみや)に
幸しました。

正月からこの月に至るまで、
班田はすでに終わりました。

凡そ、
田は、長さ三十步を段とし、
十段を町とします。

(段の租は、稲一束半、町の租は稲十五束)

三月九日、
車駕が宮に還りました。 

夏四月十五日、
沙門(しゃもん)の恵隠(えおん)を
内裏に請じて、
無量寿経を講じさせました。

沙門の恵資(えし)を
論議者(ろんげしゃ)としました。

沙門の千を
作聴衆(さちょうじゅ)としました。

二十日、
講を罷(や)めました。

この日から、
連雨(れんう)が初まり、
水は九日に至り、

宅屋が損壊し、
田苗に害がおよび、

人及び牛馬が溺死する者が多くでました。

この月、
戸籍を造りました。

凡そ、
五十戸を里とし、
里ごとに長一人。

凡そ、
戸主は
皆、家長をあてる。

凡そ、
戸は皆、五家で保をつくり、
一人を長とする。
たがいに検察(かむがえみる)する。

新羅、百濟は、
遣使(つかわしめ)して
貢調(みつきたてまつり)し、
物を献(たてまつ)りました。

秋九月、
宮を造り終えました。
その宮殿の状は、
とても論(あげつら)うことができません。

冬十二月晦(つごもり)、
天下の僧尼を内裏に請じて、 
齋を設けて、
大捨して、
燈(みあかし)を燃やしました。



・沙門(しゃもん)
出家した僧侶のこと
・連雨(れんう)
連日降り続く雨
・晦(つごもり)
三十日
・大捨
大捨とは愛憎の心を捨てて平等の心に住するをいう
・燈(みあかし)
神仏に奉る灯火。おとうみょう)火



(感想)

白雉3年春1月1日、
元日礼が終わり、
天皇は、大郡宮に行幸しました。

1月からこの月に至るまで、
班田はすでに終わりました。

およそ、田は、
長さ30步を一段とし、
10段を1町とします。

(一段の租は、稲一束半、一町の租は稲十五束)

3月9日、
天皇が宮に帰りました。 

夏4月15日、
出家した僧侶の恵隠を内裏に請じて、
無量寿経を講じさせました。

出家した僧侶の恵資を論議者としました。
出家した僧侶千人を作聴衆としました。

20日、
講をやめました。

この日から、
連日降り続く雨が初まり、

水は九日に至り、
宅屋が損壊し、
田苗に害がおよび、
人および牛馬が溺死する者が多くでました。

この月、
戸籍を造りました。

およそ、
50戸を里とし、
里ごとに長を一人置く。

およそ、
戸主は皆、家長をあてる。

およそ、
戸は皆、五家で保をつくり、
一人を保長とする。
たがいに検察する。

新羅、百濟は、
使者を派遣して貢調し、
物を献上しました。

秋9月、
宮を造り終えました。
とても論(あげつら)うことができません。

冬12月30日、
天下の僧尼を内裏に請じて、
斎を設けて、
大捨して、
神仏に奉る灯火を灯しました。

明日に続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。


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