古事記 上つ巻 現代語訳 五十二
古事記 上つ巻
国譲り
大国主神の神殿
書き下し文
故、更にまた還り来、其の大国主神に問ひたまはく、「汝が子等、事代主神、建御名方神二はしらの神は、天つ神の御子の命の隨に違はじと白しぬ。故、汝が心は奈何に」ととふ。尓して答へ白さく、「僕が子等、二はしらの神の白せる隨に、僕違はじ。此の葦原中国は、命の隨に既に献らむ。ただ僕が住所は、天つ神の御子の天津日継知らしめす、登陀流天の御巣の如くして、底津石根に宮柱布斗斯理、高天の原に氷木多迦斯理て治め賜はば、僕は百足らず八十くま手に隠りて侍らむ。また僕が子等、百八十神は、八重事代主神、神の御尾前と為て仕へ奉らば、違ふ神は非じ」と、如此白して、出雲国の多芸志の子浜に、天の御舎を造りて、水戸神の孫櫛八玉神を膳夫と為、天の御饗を献る時に、祷き白して、櫛八玉神鵜に化り、海の底に入り、底の波邇を咋ひ出で、天の八十毘良迦を作りて、海布の柄を鎌り燧臼に作り、海蓴の柄を以ち燧杵に作りて、火を鑽り出でて云く、
現代語訳
故に、更にまた還り来て、その大国主神(おおくにぬしのかみ)に問いて、「汝が子等、事代主神(ことしろぬし)、建御名方神(たけみなかたのかみ)、二はしらの神は、天津神の御子の命の隨(まにま)に違はじと言っている。故に、汝が心は奈何(いか)に」といいました。しかして、答えていうことには、「僕が子等、二はしらの神のいうことに隨(まにま)に、僕違わず。この葦原中国は、命の隨(まにま)に既に献(たてま)つります。ただ僕が住所(すみか)は、天津神の御子の天津日継(あまつひつぎ)が知らしめす、登陀流(とだる)天之御巣(あめのみす)の如くして、底津石根(そこついはね)に、宮柱布斗斯理(みやばしらふとしり)、高天の原に氷木多迦斯理(ひぎたかしり)て、治め賜はわば、僕は、百足(ももた)らず、八十隈手(やそくまで)に隠れて侍(はべ)りましょう。また僕が子等、百八十神(ももやそがみ)は、八重事代主神が、神の御尾前(みをさき)として、仕え奉らば、違える神はいないでしょう」と、かくもうして、出雲国の多芸志之小浜(たぎしのおはま)に、天之御舎(あめのみあらか)を造って、水戸神の孫の櫛八玉神(くしやたまのかみ)を膳夫(かしわで)とし、天の御饗(みあえ)を献る時に、祷(ほ)きをいって、櫛八玉神は鵜(う)に化(な)り、海の底に入り、底の波邇(はに)を咋(く)い出で、天の八十毘良迦(やそびらか)を作りて、海蓴(こも)の柄(から)を鎌(か)り燧臼(ひきりうす)を作り、海蓴の柄をもち、燧杵(ひきりぎね)を作り、火を鑽(き)り出でて云く、
・隨(まにま)に
行動の決定を他に任せて、他の意志や事態の成り行きに従うさまを表わす語。 ままに
・天津日継(あまつひつぎ)
皇位を継承すること。また、皇位
・知らしめす(しらしめす)
お治めになる。しろしめす
・登陀流(とだる)
十分に足りる意か?
・天之御巣(あめのみす)
宮殿
・底津石根(そこついはね)
地の底にある岩。地の底。下ついわね
・宮柱布斗斯理(みやばしらふとしり)
宮柱を太く掘り立てて
・氷木多迦斯理(ひぎたかしり)
氷木(ひぎ) 破風の木材を長く延ばして、棟で交差させ、屋根上に突出させたもの。千木(ちぎ)を高く
・百足(ももた)らず
百に満たない意から、「八十 (やそ) 」「五十 (い) 」にかかる枕詞
・八十隈手(やそくまで)
多くの曲がり角
・百八十神(ももやそがみ)
たくさんの神々
・御尾前(みをさき)
うしろと前。あとさき
・多芸志之小浜(たぎしのおはま)
出雲市の海浜
・天之御舎(あめのみあらか)
神殿
・膳夫(かしわで)
古代、宮中で食膳の調理をつかさどった人
・御饗(みあえ)
飲食のもてなし。ごちそう
・祷(ほ)き
祝福の言葉
・波邇(はに)
土器や陶器のもとになる粘土を示す言葉
・八十毘良迦(やそびらか)
古代に用いられた平たい土製の容器
・海蓴(こも)
海草「こあまも(小甘藻)」の異名
・燧臼(ひきりうす)
古代の人々が火を熾す際に使った道具
・燧杵(ひきりぎね)
古代の人々が火を熾す際に使った道具
・鑽(き)
ヒノキ・モミなどの堅い材に細い丸棒をもみこみ、その摩擦熱で火おこす
現代語訳(ゆる~っと訳)
こういうわけで、
建御雷神は、更にまた出雲に戻って来て、
大国主神に、
「そなたの子どもら、
事代主神、建御名方神、二柱の神は、
天津神の御子の命令に
背かないと言っている。
そなたの心はどうか?」
と問いました。
大国主神は答えて、
「私の子どもたち、
二柱の神の申した通りに、
私は背きません。
この葦原中国は、
仰せのとおりに献上いたします。
ただ、
私のすみかは、
天津神の御子が、
天つ日継をうけ、
統治される、
立派な宮殿のように、
地の底にある岩に
宮柱を太く掘り立てて、
空に千木(ちぎ)を高々とあげて、
神殿を建ててくださるならば、
私は、
多くの曲がり角の果てに、
隠れておりましょう。
また、
私の子の、
たくさんの神々は、
八重事代主神が、
神の後尾を守り、
先頭に立って、
お仕えしたなら、
背く神はいないでしょう」
と、このようにもうして、
出雲国の
多芸志の小浜(たぎしのおはま)に、
・多芸志の小浜(たぎしのおはま)
出雲市の海浜
大国主神のための天の神殿を造って、
水戸神の孫の櫛八玉神を、
料理人とし、
天のごちそうを献上する時に、
祝福の言葉を言って、
櫛八玉神は、
鵜に姿を変えて、
海の底に入り、
海底の粘土をくわえ出で、
その土で
天の平瓮(ひらか)という容器を作り、
海草の茎を刈り取って
火を切り出す臼を作り、
別の海草の茎で火切り杵を作り、
火をおこしていいました。
続きます。
読んでいただき
ありがとうございました。
前のページ<<<>>>次のページ