日本書紀 巻第二十 渟中倉太珠敷天皇 二十四
・天皇、崩御
・蘇我氏と物部氏の確執
秋八月十五日、
天皇は、
病が重くなり、
大殿で崩じました。
この時、
殯宮(もがりのみや)を
広瀬に起こしました。
馬子宿禰大臣
(うまこのすくねのおおおみ)
は刀を身につけ、
誄(しのびごと)しました。
物部弓削守屋大連
(もののべゆげのもりやおおむらじ)
があざ笑いして、
「獵箭(さつや)にあたった雀の如く」
といいました。
次に、
弓削守屋大連は、
手脚が揺震(わななきふるえて)、
誄(しのびごと)をしました。
(揺震、戦慄(わななき)です)
馬子宿禰大臣があざ笑い、
「鈴を懸けるがいい」
といいました。
これによりて、
二臣は、
しだいに怨恨が生じました。
三輪君逆(みわのきみさかふ)は、
隼人を使い、
殯庭(もがりのにわ)をまもらせました。
穴穂部皇子(あなほべのみこ)が、
天下を取ろうとしました。
発憤(はっぷん)し
称(ことあげ)して、
「何故、死んだ王の庭につかえて、
生きている王の所につかえないのか」
といいました。
・殯宮(もがりのみや)
殯(もがり)とは、日本の古代に行われていた葬送儀礼。殯の期間に遺体を安置した建物を殯宮(もがりのみや)という
・広瀬
大和国広瀬郡、現在の奈良県北葛城郡広陵町辺
・誄(しのびごと)
日本古代以来、貴人の史を哀悼し、生前の功績・徳行をたたえ、追憶する弔辞。誄詞(るいじ)とも呼ばれる。大王(天皇)には殯宮で奏され、功臣の棺前にも賜ったもの
・獵箭(さつや)
猟で使う矢
・発憤(はっぷん)
何かに刺激されて精神を奮い起こすこと
(感想)
(敏達天皇14年)
秋8月15日、
天皇の病が重くなり、
大殿で崩じました。
この時、
遺体を安置する建物
殯宮(もがりのみや)を
広瀬に作りました。
馬子宿禰大臣は刀を身につけ、
天皇の史を哀悼し、
生前の功績・徳行をたたえ、
追憶する弔辞をあげました。
物部弓削守屋大連があざ笑いして、
「猟で使う矢にあたった雀のようだ」
といいました。
次に、
弓削守屋大連は、
手脚をわなわなと震わせながら、
弔辞をしました。
馬子宿禰大臣があざ笑い、
「鈴を掛けたらいい」
といいました。
これによりて、
二臣は、しだいに怨恨が生じました。
おーい!
いい年したおっさん二人が
大切な主人の葬礼最中に
なに喧嘩しているんだ!
天皇に対しての礼節が
おざなりになって来ているような…
三輪君逆は、
隼人を使い、
殯庭を守らせました。
穴穂部皇子が、
天下を取ろうとしました。
発憤(はっぷん)し
称(ことあげ)して、
「何故、死んだ王の庭につかえて、
生きている王の所につかえないのか!」
といいました。
どいつもこいつも。
天皇が崩御されたのだから
哀悼の意をもって葬礼しろや!
何だかな…
さて、本日で
日本書紀 巻第二十 渟中倉太珠敷天皇
終了です。
読み終えて見ますと、
仏教が伝来してから
天皇への扱いがぞんざいになっているような
気がします。
つまるところ、
天皇の霊威が衰えてしまったのでは?
しかし、
何やら嫌な予感しかしない。
古代日本は、
どうなっていくのでしょうか?
次の巻へ続きます。
読んでいただき
ありがとうございました。
ランキングに参加中!励みになります。
ポチッとお願いします。