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日本書紀に登場する人物・加羅国 ・己本旱岐 ・兒百久至 ・阿首至 ・国沙利 ・伊羅麻酒 ・爾汶至 ・既殿至


日本書紀に登場する人物・加羅国

・己本旱岐
・兒百久至
・阿首至
・国沙利
・伊羅麻酒
・爾汶至
・既殿至


己本旱岐
(コホカンキ)


加羅国王


「日本書紀」では


日本書紀 巻第九
百済記では、
このように登場しています。

“加羅国王・己本旱岐及び兒百久至、阿首至、国沙利、伊羅麻酒、爾汶至等は、その人民をひきつれて、百済に出奔しました。”

百済記によりますと、
壬午(みずのえうま・382)年、
新羅は貴国に貢上しませんでした。

そこで貴国は、
沙至比跪(さちひこ)を派遣して討たせました。

それに対し、
新羅人は、美女二人に莊飾(そうしょく)して、
港に迎え誘いました。

沙至比跪は、
その美女を受けとり、
反転して加羅国を討ちました。

加羅国王・己本旱岐と
兒百久至(コハククチ)
阿首至(アシュチ)
国沙利(コクサリ)
伊羅麻酒(イラマス)
爾汶至(ニモンチ)等は、

その人民をひきつれて、
百済に出奔しました。
百済は厚遇しました。

加羅国王の妹・既殿至(ケデンチ)は、
大倭(やまと)に向い、

申し上げて、
「天皇は、
沙至比跪を派遣して、
新羅を討たせました。

それなのに新羅の美女を納め、
捨てて討たずに、
(かえ)ってわが国を滅ぼしました。
兄弟、人民は、みな流れ沈みました。
憂慮にたえません。
それでいま来て申すのです」
といいました。

天皇は大いに怒り、
すぐさま木羅斤資(モクラコンシ)を派遣して、
軍勢を率いて加羅に来集し、
その国家を復しました。

名前のみの登場で詳しい活躍は
記載されていません。


兒百久至
(コハククチ)


加羅国の王族


「日本書紀」では


日本書紀 巻第九
百済記では、
このように登場しています。

“加羅国王・己本旱岐及び兒百久至、阿首至、国沙利、伊羅麻酒、爾汶至等は、その人民をひきつれて、百済に出奔しました。”

百済記によりますと、
壬午(みずのえうま・382)年、
新羅は貴国に貢上しませんでした。

貴国は、
沙至比跪(さちひこ)を派遣して討たせました。

それに対し、
新羅人は、美女二人に莊飾(そうしょく)して、
港に迎え誘いました。

沙至比跪は、
その美女を受けとり、
反転して加羅国を討ちました。

加羅国王・己本旱岐(コホカンキ)
兒百久至、
阿首至(アシュチ)
国沙利(コクサリ)
伊羅麻酒(イラマス)
爾汶至(ニモンチ)等は、

その人民をひきつれて、
百済に出奔しました。

天皇は、
加羅国王の妹・既殿至(ケデンチ)
の申し立てを聞き、
すぐに木羅斤資(モクラコンシ)を派遣して、
軍勢を率いて加羅に来集し、
その国家を復しました。

名前のみの登場で
詳しい活躍は記載されていません。


阿首至
(アシュチ)


加羅国の王族


「日本書紀」では


日本書紀 巻第九
百済記では、
このように登場しています。

“加羅国王・己本旱岐及び兒百久至、阿首至、国沙利、伊羅麻酒、爾汶至等は、その人民をひきつれて、百済に出奔しました。”

百済記によりますと、
壬午(みずのえうま・382)年、
新羅は貴国に貢上しませんでした。

貴国は、
沙至比跪(さちひこ)を派遣して討たせました。

それに対し、
新羅人は、美女二人に莊飾(そうしょく)して、
港に迎え誘いました。

沙至比跪は、
その美女を受けとり、
反転して加羅国を討ちました。

加羅国王・己本旱岐(コホカンキ)
兒百久至(コハククチ)
阿首至、
国沙利(コクサリ)、
伊羅麻酒(イラマス)、
爾汶至(ニモンチ)等は、

その人民をひきつれて、
百済に出奔しました。

天皇は、
加羅国王の妹・既殿至(ケデンチ)
の申し立てを聞き、

すぐに木羅斤資(モクラコンシ)を派遣して、
軍勢を率いて加羅に来集し、
その国家を復しました。

名前のみの登場で
詳しい活躍は記載されていません。


国沙利
(コクサリ)


加羅国の王族


「日本書紀」では


日本書紀 巻第九
百済記では、
このように登場しています。

“加羅国王・己本旱岐及び兒百久至、阿首至、国沙利、伊羅麻酒、爾汶至等は、その人民をひきつれて、百済に出奔しました。”

百済記によりますと、
壬午(みずのえうま・382)年、
新羅は貴国に貢上しませんでした。

貴国は、
沙至比跪(さちひこ)を派遣して討たせました。

それに対し、
新羅人は、美女二人に莊飾(そうしょく)して、
港に迎え誘いました。

沙至比跪は、
その美女を受けとり、
反転して加羅国を討ちました。

加羅国王・己本旱岐(コホカンキ)
兒百久至(コハククチ)
阿首至(アシュチ)
国沙利、
伊羅麻酒(イラマス)
爾汶至(ニモンチ)等は、

その人民をひきつれて、
百済に出奔しました。

天皇は、
加羅国王の妹・既殿至(ケデンチ)
の申し立てを聞き、

すぐに木羅斤資(モクラコンシ)を派遣して、
軍勢を率いて加羅に来集し、
その国家を復しました。

名前のみの登場で
詳しい活躍は記載されていません。


伊羅麻酒
(イラマス)


加羅国の王族


「日本書紀」では


日本書紀 巻第九
百済記では、
このように登場しています。

“加羅国王・己本旱岐及び兒百久至、阿首至、国沙利、伊羅麻酒、爾汶至等は、その人民をひきつれて、百済に出奔しました。”

百済記によりますと、
壬午(みずのえうま・382)年、
新羅は貴国に貢上しませんでした。

貴国は、
沙至比跪(さちひこ)を派遣して討たせました。

それに対し、
新羅人は、美女二人に莊飾(そうしょく)して、
港に迎え誘いました。

沙至比跪は、
その美女を受けとり、
反転して加羅国を討ちました。

加羅国王・己本旱岐(コホカンキ)と
兒百久至(コハククチ)
阿首至(アシュチ)
国沙利(コクサリ)
伊羅麻酒、
爾汶至(ニモンチ)等は、

その人民をひきつれて、
百済に出奔しました。

天皇は、
加羅国王の妹・既殿至(ケデンチ)
の申し立てを聞き、

すぐに木羅斤資(モクラコンシ)を派遣して、
軍勢を率いて加羅に来集し、
その国家を復しました。

名前のみの登場で
詳しい活躍は記載されていません。


爾汶至
(ニモンチ)


加羅国の王族


「日本書紀」では


日本書紀 巻第九
百済記では、
このように登場しています。

“加羅国王・己本旱岐及び兒百久至、阿首至、国沙利、伊羅麻酒、爾汶至等は、その人民をひきつれて、百済に出奔しました。”

百済記によりますと、
壬午(みずのえうま・382)年、
新羅は貴国に貢上しませんでした。

貴国は、
沙至比跪(さちひこ)を派遣して討たせました。

それに対し、
新羅人は、美女二人に莊飾(そうしょく)して、
港に迎え誘いました。

沙至比跪は、
その美女を受けとり、
反転して加羅国を討ちました。

加羅国王・己本旱岐(コホカンキ)
兒百久至(コハククチ)
阿首至(アシュチ)
国沙利(コクサリ)
伊羅麻酒(イラマス)
爾汶至等は、

その人民をひきつれて、
百済に出奔しました。

天皇は、
加羅国王の妹・既殿至(ケデンチ)
の申し立てを聞き、

すぐに木羅斤資(モクラコンシ)を派遣して、
軍勢を率いて加羅に来集し、
その国家を復しました。

名前のみの登場で
詳しい活躍は記載されていません。


既殿至
(ケデンチ)


加羅国王の妹


「日本書紀」では


日本書紀 巻第九
本文では、
このように登場しています。

“加羅国王の妹、既殿至は、大倭に向い、申し上げて、
「天皇は、沙至比跪を派遣して、新羅を討たせました。それなのに新羅の美女を納め、捨てて討たずに、反ってわが国を滅ぼしました。兄弟、人民は、みな流れ沈みました。憂慮にたえません。それでいま来て申すのです」といいました。“

国を滅ぼされ流浪となった
兄弟、人民を思い、
大倭まで出向き、
請願しました。

百済記によりますと、
壬午(みずのえうま・382)年、
新羅は貴国に貢上しませんでした。

貴国は、
沙至比跪(さちひこ)を派遣して討たせました。

それに対し、
新羅人は、美女二人に莊飾(そうしょく)して、
港に迎え誘いました。

沙至比跪は、
その美女を受けとり、
反転して加羅国を討ちました。

加羅国王・己本旱岐(コホカンキ)
兒百久至(コハククチ)
阿首至(アシュチ)
国沙利(コクサリ)
伊羅麻酒(イラマス)
爾汶至
(ニモンチ)等は、

その人民をひきつれて、
百済に出奔しました。

加羅国王の妹・既殿至は、
大倭(やまと)に向い、

申し上げて、
「天皇は、沙至比跪を派遣して、
新羅を討たせました。

それなのに新羅の美女を納め、
捨てて討たずに、

反(かえ)ってわが国を滅ぼしました。

兄弟、人民は、みな流れ沈みました。
憂慮にたえません。
それでいま来て申すのです」
といいました。

天皇は大いに怒り、
すぐさま木羅斤資(モクラコンシ)を派遣して、
軍勢を率いて加羅に来集し、
その国家を復しました。



勉強途中ですので
新しい知識を得た場合
随時更新予定です。


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