日本書紀 巻第二十三 息長足日広額天皇 十五
・舒明天皇10~11年の出来事
十年秋七月十九日、
大風がふき、木が折れて、
屋を發(ひら)きました。
九月、
霖雨(りんう)となりました。
桃李(ももすもも)の花が咲きました。
冬十月、
有間温湯宮に幸しました。
この歲、
百濟・新羅・任那が並びに朝貢しました。
十一年春正月八日、
車駕(しゃが)が
温湯(ゆ)から還りました。
十一日、
新嘗を行いました。
(おそらく有間の幸にいっていたため、新嘗を欠いてしまったのではないか)
十二日、
雲が無いのに雷が鳴りました。
二十二日、
大風がふき雨が降りました。
二十五日、
長い星が西北に見えました。
この時、旻師(みんし)が、
「彗星です。
見えれば、
すなわち、飢えるでしょう」
といいました。
秋七月、
詔して、
「今年は、大宮及び大寺を造らせよ」
といいました。
則ち、
百濟川の側を宮の處としました。
ここをもちて、
西の民は宮を造り、
東の民は寺を作りました。
書直県(ふみのあたいあがた)を
大匠(おおたくみ)としました。
秋九月、
大唐(もろこし)の
學問僧・恵隱(えおん)、
恵雲(えうん)が、
新羅の送使(おくるつかい)に従って、
京に入りました。
冬十一月一日、
新羅の客を朝で饗(もてな)しました。
よって、
冠位一級を給わりました。
十二月十四日、
伊豫温湯宮に幸しました。
この月、
百濟川の側に九重塔を建てました。
・霖雨(りんう)
幾日も降り続く雨。ながあめ
・車駕(しゃが)
1・くるま。また、のりもの。天子が行幸するときに乗る車。また、その行幸3・天子の敬称
・旻師(みんし)
=僧旻
(感想)
舒明天皇10年秋7月19日、
大風がふき、
木が折れて、
家屋を破壊しました。
9月、
長雨となりました。
桃李(ももすもも)の花が咲きました。
九月に桃の花が咲いたと…
季節外れですね。
冬10月、
有間温湯宮に行幸しました。
この歲、
百濟・新羅・任那が並びに朝貢しました。
舒明天皇11年春1月8日、
天皇が温湯(ゆ)から帰りました。
11日、
新嘗を行いました。
(おそらく有間に行幸にいっていたため、
新嘗を欠いてしまったのでしょう)
舒明天皇…
温泉好きですね。
行くのはいいのですが、
新嘗祭を期日に行わないとは…
神様に失礼ではないかと。
12日、
雲が無いのに雷が鳴りました。
22日、
大風がふき雨が降りました。
25日、
長い星が西北に見えました。
この時、僧旻が、
「彗星です。
現れると、
すなわち、飢えるでしょう」
といいました。
秋7月、
詔して、
「今年は、大宮及び大寺を造らせよ」
といいました。
則ち、百済川の側を宮の所としました。
そこで、
西の民は宮を造り、
東の民は寺を作りました。
書直県を大匠としました。
秋9月、
大唐の学問僧・恵隱、恵雲が、
新羅の送る使いに従って、
京に入りました。
冬11月1日、
新羅の客を朝廷で饗応しました。
よって、
冠位一級を与えました。
12月14日、
伊豫温湯宮に幸しました。
この月、
百済川の側に九重塔を建てました。
未だに怪奇現象が続いていますね。
それなのに、温泉巡り?
と見せかけて、
地方の視察ですかね。
どうなのでしょうか?
明日に続きます。
読んでいただき
ありがとうございました。
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