日本書紀 巻第二十六
天豊財重日足姫天皇 十九
・百済、王子の扶余豊璋の帰国を願う
冬十月、
百濟の佐平(さへい)の
鬼室福信(きしつふくしん)は、
佐平の貴智(きち)等を遣わして、
来て、
唐の俘、
百余人を献(たてまつ)りました。
今、
美濃国の不破(ふわ)、
方県(かたあがた)の
二つの郡の唐人(もろこしびと)等です。
また、
師を乞い、
救いを請いて、
あわせて
王子の余豊璋(よほうしょう)を乞いて、
(或る本は云う、佐平の貴智と達率(だちそち)の正珍(しょうちん)であると)
「唐人が、
我に悪い敵を率いて来て、
我を疆埸(きょうえき)し、
蕩搖(とうよう)させ、
我が社稷を覆し、
我が君臣を俘にしました。
(百濟王、儀慈(ぎじ)、その妻・恩古(おんこ)、その子・隆(りゅう)等、その臣、佐平の千福(せんふく)、国弁成(こくべんじょう)、孫登(そんとう)等、およそ五十余り。秋七月十三日に、蘇将軍(そ)に捉えられ、唐国に送られ去りました。これ思うに、理由もなく持兵(つわもの)を持ったのは、徵(しるし)だったのだろう)
百濟国は、
遥かな天皇の護念(みめぐみ)を頼りに、
更に鳩集(きゅうしゅう)し、
邦を成しました。
今、
謹み願うは、
百濟国が、
天朝に遣わして侍る王子・豊璋を迎えて、
国主としたいということです」
といいました。云々。
詔して、
「師を乞い、
救いを請うことは、
古昔(いにしえ)に聞いたことがある。
危機を扶け、
絶えをつぐことは、
常の典にあらわれている。
百濟国は窮まり来て、
我に帰るのは、
本邦(もとのくに)が喪(ほろ)びて、
乱れ、
依るところなくなびき、
告げるところなくなびき、
戈(ほこ)を枕にして、
胆をなめている。
必ず救ってほしいと、
遠くから来て、奏言した。
志を奪うことは難しい。
将軍に分けて命じて、
百道を倶に進み、
雲に会い雷が動くように、
倶に沙㖨(さたく)に集まれば、
その鯨鯢(あた)をきり、
かの倒懸(とうけん)をゆるめよ。
有司は具にかけることなく、
禮をもって発遣させよ」
といいました。云々。
(王子・豊璋及び妻子とその叔父の忠勝等を送りました。その正しい発遣の時は、七年に見えます。
或る本は云う、天皇は、豊璋を立てて王とし、塞上(さいじょう)を立てて輔となし、礼を持って発遣させた。と)
・余豊璋(よほうしょう)
百済の王子で日本で人質となっていた人物
・疆埸(きょうえき)
国境で戦争が起こってあわただしいこと
・蕩搖(とうよう)
ゆり動かすこと。また、ゆれ動くこと
・蘇将軍(そ)
蘇定方のこと
・鳩集(きゅうしゅう)
寄り集まること
・沙㖨(さたく)
朝鮮の地域
・鯨鯢(あた)
敵
・倒懸(とうけん)
人の手足を縛ってさかさまにつるすこと。 また、非常な苦しみのたとえ
・塞上(さいじょう)
豊璋の弟
(感想)
(斉明天皇6年)
冬10月、
百済の佐平の鬼室福信は、
佐平の貴智らを派遣して、
日本に来て、
唐の捕虜、100余人を献上しました。
今、
美濃国の不破、方県、
二つの郡の唐人らです。
また、
援軍を乞い、
救援を要請し、
あわせて王子の余豊璋を乞いて、
或る本は云う、
佐平の貴智と達率の正珍であると。
「唐人が、
我が百済の害賊である新羅を率いて、
来襲し、
我が国境で戦争を起こし、
ゆり動かし、
我が社稷を覆し、
我が君臣を捕虜にしました。
百済王の儀慈、
その妻の恩古、
その子の隆ら、
その臣の佐平の千福、国弁成、孫登ら、
およそ50余り。
秋7月13日、
蘇将軍により捕らえられ、
唐国に連れ去られました。
これ思うに、
百姓が理由もなく武器を持ったのは、
この前兆だったのでしょうか。
百済国は、
遥かなる天皇の
百済を守ろうする心を頼りに、
更に散った軍を寄り集め、
国を形成しました。
今、
謹み願うは、
百済国が、
天朝に人質として派遣した、
王子・豊璋を迎えて、
国主としたいということです」
といいました。云々。
詔して、
「援軍を乞い、
救援を請うことは、
昔も聞いたことがあります。
危機を助け、
断絶を継ぐことは、
常の典にあらわれています。
百済国は窮まり来て、
我に帰依するのは、
元の国が滅び、乱れ、
依る所なくなびき、
告げる所なくなびいているからです。
戈(ほこ)を枕にして、
胆をなめています。
必ず救って欲しいと、
遠くから来て、
奏言しました。
志を奪うことは難しいことです。
将軍にそれぞれ命じて、
百道を共に進み、
雲に会い雷が動くように、
ともに沙㖨に集まり、
その敵を斬り、
かの非常な苦しみをゆるめなさい。
有司は皆、かけることなく、
礼をもって発遣させなさい」
といいました。云々。
王子・豊璋および
妻子とその叔父の忠勝らを送りました。
その正しい発遣の時は、
7年に見えます。
或る本は云う、
天皇は、豊璋を立てて王とし、
塞上を立てて助けとして、
礼を持って発遣させました。と
国を復興させた
鬼室福信は
百済の王子・豊璋を
本国に返して欲しいと請いました。
それを承諾した日本は、
彼らを帰国させました。
さて、
百済国の未来はどうなるでしょうか?
明日に続きます。
読んでいただき
ありがとうございました。
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