自治体学校最終日の7.23の特別講演は素晴らしかった。
50年の弁護士活動の経験、そして先生が学生時代に恩師からの命題「権利とは何か?」を追求し、権利を勝ち取るため住民と一緒になって、裁判闘争してきた経験を存分に聞くことができた。
権利とは日本国憲法前文にきちんと明文化されている。
人類が長い歴史の中で勝ち取ってきたもの、それを私たちが享受し、この権利を行使するために普段に努力すること、そしてそれを次世代に手渡していくという義務がある。
憲法は国民主権を貫くために、国家権力の暴走を防ぐために権力側に守る義務を課している。しかし、同時に私たち国民側にも憲法を守り、伝えていく義務があるということを忘れてはならない。
個人で権利を行使する為に自分だけの主張でなく、周囲もそれを認めて初めて行使できる。権利行使で争いのあるときは司法で解決する。
それが法治国家。
しかし、今の国家は判決すら守らない。
行政記録すらも改ざんするというお粗末さだ。
政権は住民側が、勝利判決を得た今もなお、諫早湾の開門をせず、潮流を元に戻していない。
これが日本の最大の間違いである。
政権側の「国民の権利」の考え方は、「政府が国民に与えてやった権利だから、取り上げてもいいのだ」というおごり高ぶった認識。
日本人の権利の主張は、なかなか育ってこなかった。今、安倍政権は戦争する国づくりに向けて、暴走しているが、戦争をする為に一番障害になるのは、個人の権利主張だということ。
だから、いま、モノ言えない黙らざるを得ない状況が作られつつある。
「ダメなものはダメ」と言える日本人になることが、一番、戦争を進める上で障害となる。
たとえ話に橋本忍監督の「私は貝になりたい」の話をされた。
主人公の床屋が、召集され、軍隊で上官にアメリカ兵の捕虜を殺せと命令される。
フランキー堺氏が演じた映画では命令通り殺害し、戦後、戦争犯罪者として処刑される。
しかし、さんま氏がテレビドラマで扮した時は、上官の命令に背いた。「私は人を殺す為に生まれてきたのではない。」と。そして上官に殺害されるという内容だった。
その時、馬奈木先生は「あー橋本忍さんの言いたかったことはこれなのだ」と理解したという。
世界ではアイデンティティを重要視する。
「自分の人権は絶対に誰にも侵されない」という人権意識。たとえ上官の命令で、捕虜を殺害したとしても、責任逃れはできない。それが世界の常識である。
日本人はその点が甘っちょろい!
「上官から命令されて、それに従っただけなのに死刑になるなんてかわいそう」なんていう考え方はまず世界では通用しないということ。
自分の行動は自分で責任を取るということ。
責任を取れないことはしないこと。
自分の人権を守る、主張する、行使するためにみなさんが頑張れば日本は必ず変わる。
先生が諫早湾、水俣病など住民とともに裁判闘争をし「絶対に譲れない!」現場で培ってきたものの大きさを感じた。
そして先生が、学生時代に恩師から法律の専門家として鍛え上げられた理論に裏打ちされた凄みを感じた。