木工だけでなく鉄工にも興味を持ちまして半自動溶接機を衝動買いしちゃいました。とりあえず溶接の資格は所持してるんですけど技術はなく知識も消滅。半自動溶接の資格はないけど、個人でやるには必要ない。
蛇山か斎藤山か伊勢山か、初めての増位山か悩みました。遭難が脳裏を掠める過酷な山歩きを求めてない、今は。
結局蛇山で癒しの時間を過ごすことにした。達磨岩までで活動限界を迎えた。山歩き二年目、山歩き技術に進歩はないようだ。動画見て勉強はしてるんですけどね、身に付かない。
気合いと根性で石垣が見える場所まで辿り着いた。岩尾城趾、蛇山と書いて『おろちやま』と読むそうだ。
全国的にも珍しく貴重な遺構だそうだ。今日は登山者用駐車場で頂戴した小冊子片手に山歩き。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいていると言うやつだ。意味は知らない。
この石垣も貴重な遺構のひとつ。五百年も前に築かれた石垣。この広い山頂を貸切状態。水分補給と仙豆を少々齧る。
今日の目標は大谷山。古天神山も行けたら行く。関西では『行けたら行く』は行かないことを意味するそうだ。僕は関西人ですが、言葉通り行けたら行くし行く気がない行かないと言う。古天神山、行けたら行く。
暫くは歩きやすい道が続く。蜘蛛の巣もあるし羊歯区間もあるけど、夏ほど過酷ではない。山歩きには快適な季節だけど登山者の多い季節でもある。僕は社交的に見られがちだけど正直人間が苦手。三草山や高御位山にも行きたいのだけどね。
道がなくなりました。前後左右東西南北羊歯に囲まれ四面楚歌。比較的羊歯の少ない場所を道と認識して進んでこの結末。
少し引き返して道が確定しているところから冷静にやり直してみた。西側斜面に目印がある。道とは言えないけれど羊歯に突撃するよりは確かな道だ。
乗れるらしい。残念ながら椅子が壊れているが、乗れるようだ。ちょいと紐を引いて確認した。折れそうで怖い。乗れそうにない。
随分歩いたつもりだが大谷山はまだ先のようだ。休憩所で今後の予定を検討する。静かで暖かく虫も獣も人も居ない。目を閉じれば眠れそうな心地良さだが、起きたら日が暮れてたなんて事態は勘弁願いたい。
岩場を乗り越え振り返れば蛇山は遥か遠く。ここまで来れば戻るも進むも同じ、ならば進むしかない。
大谷山到着。俗世では三角点に触れたり踏んだりする儀式があるようだが、僕はやんない。
大谷山を発ち古天神山へ向かう途中、黒くて大きな生き物を見た。鹿のようであり猪のようでもあり熊のようにも見えた。全身は黒く、狐のような尾があり、尾の裏側だけが真白な生き物。強いて言えば巨大なスカンク。
結局何なのか分からず追うこともなく、名前も知らない虫や花と同じように獣のような何かと遭遇しただけである。用があるなら向こうから話しかけてくるだろう。古天神山へ歩を進める。
結局何なのか分からず追うこともなく、名前も知らない虫や花と同じように獣のような何かと遭遇しただけである。用があるなら向こうから話しかけてくるだろう。古天神山へ歩を進める。
山から見下ろす外界。古天神山から下山して、あの道を数十分歩いて駐車場に戻らねばならん。気が遠くなる。市長選の街宣車が候補者の名前を連呼する声がここまで届く。あの車とめて駐車場まで送らせようか、投票してやるから。丹波市民ではないけども。
古天神山付近。右から回り込んで登るのだろう。やはりこのような大岩は山でないとお目にかかる機会はない。標高460m、低山だがあべのハルカスより高い。
古天神山の岩場で休憩。足場が悪いので気を抜けない休憩となる。仙豆は尽きたが水は潤沢にある。あとは下山だけだが。
赤いの見つけた。植物学上は紅葉も楓も同じものだが、日本では葉の大きさや切れ込みの深さで紅葉、楓を呼び分けているそうだ。双子の姉妹が生まれたら紅葉と楓と名付けたい。いや、僕に出産予定はないけども。
下山時恒例の迷い道。だが今の僕には迷えば戻る技術がある。どうせ戻れるなら小学生の頃がいいな。
小学生時代は輝いてたとか希望に満ちていたとか、そういう特別な意味があるわけではない。のび太は小学生、コナンも小学生。そんな年代だ。
GoogleMAPで下山まで1分と出たが実際は10分かかりました。直線距離で平坦な舗装道路ならそうなんだろうな。初めての山歩きは七種山。登山道も表示されないGPSだけを頼りに山頂目指していた頃が懐かしい。
下山してから30分以上の舗装道路を歩く。縦走して駐車場まで歩いて戻るのは初めてかも知れん。いつかは六甲辺りも歩いてみたいけど縦走後の駐車場までの帰路を考えて躊躇する、自慢ではないが、電車バスの乗り方知りまてん。
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