心が反応しているのにそうと受け入れない。
感情が「腹立たしい」と言っているのに「怒りはない」と嘯く。
言葉で「残念だ」と言っているのに感情に訴えていないと云う。
自分には取り立てて感情はないと言い、
己が正しいという体裁を崩さない。
他者の話は聞き入れず、認めることもなく、受け入れない。
それを見た私は、居ても立っても居られない衝動に駆られる。
君ほどの者が何を言ってるんだ!?
怒りではない・・・苛立ち。
陰と陽、それぞれ自分では見て取りにくい部分を映し出している。
相手の姿形をした私の一部分から目を逸らさず見つめる。
イライラも がっかりも めんどくささも全部感じ取る。
何度も感じて、感じきるまで感じる。
そして全部抱きしめたら「・・・・・」。
「 感 情 」
誰かの姿形をした自分の一部。
それを出さずして認識するのは至難の技だ。
(それができる人は既にブッダでしょ)
赤ちゃんはすべての感情を押し隠すことなく出してすくすく成長していく。
感情を表現し、とりまく環境を受け入れながら、日一日成長していく。
赤ちゃんが感情を出さないでいたら命に関わる。
もし、
環境を受け入れる一方だとしたら、どう成長するだろう。
逆に何も受け入れなければ、どうなるだろう。
ならば、自分はこれからどうしていく?
そうして次が見えてくる。
感情は私たちの成長に欠かせないものであると学んだ。
感情を隠さない
感情を見逃さない
感情を放っておかない
心の自由においても大事なことである。