私たちは種
生まれる前に決めてきた数の種を自分の中に持っています。
それは
誰かや何かから
水をかけてもらったり刺激を受けて
自分で殻を破って芽を出します。
日の光を浴びた新芽は自ら成長していき
ある程度まで来ると次の種がスタンバリます。
探究心が強い人等は
常に己の種の声に耳を傾けて行動できるけど
ほとんどの人は
誰かや何かから
水や光や刺激を与えてもらい
時には頼り 時には逆らい
氣づきを得ながら進んでいきます。
育つのは自分
自分の意思がそうさせていて
自ら勝手に成長している
誰かや何かが育ててくれると思ったら大間違いで
誰かや何かは育つ環境を手伝ってくれてるだけ
その有り難いお膳立てを使わせてもらって
自由にイキイキと
生まれ持った種を成長させていくのです。
お母さんがおっぱいをくれようとしてるのに
何に不満なのか
いつまでもグズり 泣き止まず
こういう風に抱っこしろ
飲ませ方が悪いと文句を言って受け入れなければ
自然な成長はできません。
ずっと赤ちゃんのままでは(可愛いかもしれないけど)困るし
ずっと子どものまんまでもまいっちゃいます(笑
では、周りを観てみましょう。
あ.
あぁ...
あはははは(^^;
わりかし いますね(笑
角度を変えて。
新人研修のように基本・基礎を教えるならともかく、
人様を育てるなんておこがましいことです。
人格が伴っていないと「何を偉そうに」てな風にもなります。
育てようと躍起になっても思う通りにはいかないし
ていうか、その考え自体おかしいしw
でも、「教育」「育成」という言葉に勘違いしちゃってる人は現にいる。
あ.
あぁ...^^;
そんなこんなに氣づかないまま行くと人間関係はワヤになります。(ワヤ=とんでもない的意味)
私たちができるのは
成長しようとしている人の環境作りや手助けで
その道の先輩として基本・基礎を教えたり
経験者として手ほどきをしたり
知識や知恵を共有したり
一緒に泣いたり喜んだり
傍で見守ったり
安心させたり
その人の「お手伝いさせていただく」ことです。
誰かを育てようなんて思わなくてよし。
誰かが育ててくれると思うべからず。
赤ちゃんだって自らハイハイしたり
自分の努力で立ち上がろうとするでしょ?
自分がすべきことは自分でやって初めて成長に繋がります。
焦りは禁物、確認は必要。
誰かにやってもらっていては成長にはならないよ(^^)
それでは、また。
いつもありがとうございます(^^)/