ありがとうのブログ

毎日、家族や仕事関係の人たちとのふれあいで感謝していることをつづります。

父、逝く

2017年06月15日 22時02分50秒 | Weblog
15日午後に父を見舞う予定で動いていた。
午前の血圧測定で、訪問看護婦さんが父の低血圧に不安を感じ、主治医を呼ぶ。
主治医が診たときは、会話が可能で、水分がとれない状態だが、病院に行かず、このまま今いるホームで自然に委せることの意思を確認する。
病院に搬送されて点滴してまで、とい意思確認だった。
すぐに医師から電話、今週末位に、という余命宣告。
午後に父を訪ねると、父は私を待っていて、弱い顔の筋肉ながら、瞳は私の目を捉えている。
私も父が待っていてくれたことに、嬉しく感じる。
すぐにベッドに横たわる父の手を布団の中で自分の手と重ねる。
温かい。
息が規則的に大きく、上半身が揺れている。

「がんばったなあ。まだ行かんといてや。勇太が明日の夜に帰ってくるから、待っててや」
父は力を入れて首を縦にふる。
水分、飲むかと聞くと、縦にふる。
吸い口でそっと小さじ1杯くらいの水を流し入れる。

お菓子を焼いてきたけど食べるか、の問いに、嬉しそうに頷く。
おからとゴマのブラウニーおを1センチ角ほど口に入れて、水分を小さじ一杯、くちびるを湿らせるように入れる。

20分ほど父娘で見つめ会う。
心の中で、ありがとうを言い続ける。
呼吸がくるしいかと頷くので、胸をさするか?というと、頷く。
あばら骨の父の胸を、そっと3分ほどなぜる。
もういい、と目で言ってくる。
息が荒く、手も熱いので、布団を少し開けるか?と言うと、頷く。

目で言ってくるのを見計らって、かけ布団の上半身をかけたり、開けたりを30分ほど続ける。

呼吸が少し静かになったように感じた。
父にテレビを観るか?というと、頷く。
夕方5時台は、父が好きな侍もののドラマの再放送がある。
水戸黄門のチャンネルにすると、頷く。
音声だけで、聴いている。

施設の社長の声が事務場で聞こえる。
父に社長と話してくると伝えて、部屋を出る。
社長に、ここで父を看取ることの了承を得る。

10分、父の元を出ただけと思っていたが、父は大きい呼吸になって、目を半開き状態で眠っているようだった。
暫くして、施設の方が血圧測定をしてくれる。
何度もエラーがでたが、上が138、下が93、体温が38、1。

その方が、顔を軽く叩いても起きなかったが、私が来て安心して、眠ったのだろう、息子が明日来ると言った時の強い意思の表情を信じていた。

夕方6時。
明日朝、早くまた来ようと、ホームの夜勤の方にお願いをして、バスで帰宅する。

19時帰宅。作りおきの食事を温めて食べていると、施設の社長から電話。すぐに来た方がいい。
口の中の鶏肉を咀嚼して飲み込む。
残っていた皿の食べ物を全て口に入れ込み、落ち着いて皿を洗う。
滞在30分でホームへ向かう。タクシーが5分で捕まえることができた。
ホームに着くと後ろの車が主治医。お金を支払っていると、主治医が先に入られた。

19時58分。主治医による臨終。
一目でこの世にいないという穏やかな表情だった。

医師が、父の一生懸命に治療や終末の姿を優しく話してくれた。
まだちちの手が温かかった。
右手で父の手に重ね、左手で父の頭を静かになぜた。
ありがとうを伝える。

夜勤の方が19時過ぎに見たときには、もう逝っていた表情だったという。
実際の時間はどうだっただろう。
その場にいた方々にお礼を伝え、父のベッドの横に持参した座蒲団を並べて、横になる。
まんじりともしない夜を過ごす。

すべてに感謝。


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