以前の記事で、オーディオのリファレンスとしてJAZZやクラシックをあげる人間に対する否定論を書いたことがある。
これは、その続きになるかもしれない。
J-POPアーティストや日本の音楽評論家、ひいてやオーディオ評論家も、
圧倒的にJAZZ&CLASSICの素養が低すぎると思うのである。
いや、知識や経験量で言えば、申し分ないことは疑わない。
しかし、その真髄が魂には刷り込まれていないのである。
はっきり言ってしまおう、その後にどんな経験値を重ねようが、5歳未満までにJAZZ&CLASSICを聴き、さらに演奏してこなかった人間がそれ以降に何をやっても、向上するのはテクニックと理論だけなのである。
テクニック以外の何が欠如しているのかと言えば、魂に焼きついた純粋なる音楽的フィーリング!!
こればかりは、後天的な要素では覆せない。
ようは、親が幼少の頃からJAZZやクラッシックを日常の中で聴かせ、子どもに幼児期から楽器を手に取らせるという要素が不可欠だということだ。
J-POPのたいがいのものが、歌のうまさや演奏テクニックや楽曲の音楽理論で構築されていて、肝心要の音楽的フィーリングが致命的に欠如しているのはこのためだ。
まあ、何を言っているのか珍紛漢紛だと思いますが、このフィーリングを共有できる人こそ、私にとっての本当の音楽仲間。
三つ子の魂百まで、こそ真実なので、上っ面だけの出音を基準に「クラシックが」「ジャズが」って語るオーディオマニアが許せないんですよね…
音楽は、知識や理論、ましてや経験値では決してないのです!