Coronavirus Talk コロナウイルス対談: YOSHIKI & (Nobel Laureate Physiology/Medicineノーベル生理学・医学賞)Shinya Yamanaka
本日のブログ表題の「竹馬の友」というのは何とも古めかしい表現ですが、私には保育園の時から続く何人かのその様な友人が今も現存しております。
存在しますではなく、現存しますというのは、何故かここ数年の間の私の同年代の友人知人の急逝が相次いでいるからなのです。
この数年の短い期間に急逝した友人知人の中で、交通事故で亡くなった一人を除く他の殆どの死因は癌であり、それは私に取って何の前触れもないあっという間の様な事であり、日本人の平均寿命までにはまだまだ何十年も先の筈なのに、何故?と思わずにはいられませんでした。
急逝した友人知人の中には、小中高か続く友人である医師2名と薬剤師1名も含まれており、その3名の死因も癌でした。
それらの医師と薬剤師、特に2名の医師は医療の専門家とは言えども、特に内科系や癌の治療に直接関係する科目の医師ではなかったという事もあり、医学的な事や自身の癌に対する知識や蘊蓄に付いての事は分かっていたとしても、実際に自身がその様な癌に罹患してしまったとい現実に対しての思いは、医療関係者ではない一般の方達と比べても特に大きく変わるところはなかったと思われるのです。
それでも彼らは、家族や友人達の前での自身は医師であるという信念や責任感からか、冷静沈着な面持ちを絶えず保ち、医師としての職務と家庭での父親としての家族に対する責任を全うしたのです。
彼ら三人の死に際まで通し切ったその生き様は、それを見ていた周囲の誰もが感心するものであり、私等にはとても真似をする事の出来ない立派なものでした。
しかし、小中高時からの彼らの事を良く知る私には、友の心の中の、その立派な外側からは窺い知る事の出来ない、人として至極当然と思われる不安や葛藤があった事が痛い程分かるのです。
仮らは、複数の医療機関や幾つかの大学病院での治験でも原因や病名すらも究明する事の出来なかった私の疾患症状が発生した際には、私の事を事のほか心配してくれて、症状が始まった頃の最初の対策が行き詰った時には、彼らの勤務する病院への転院を受け入れてくれたり、退院後の薬剤治療に関しても、私の病態を知ったこれもその中の薬剤師が心配して駆けつけてくれたりしたのです。
上記の事は、私が特に彼らに頼んだからなのではなく、周辺の医療関係者から私の事を聞き及んだ彼らが各自の考えで個々に対応してくれた事だったのです。
高校時代の私と彼らとの接点は、共通する趣味のクラブ活動にあったのですが、小中時代とは違って、高校時代の同期は、クラスが違えば知らない同士もいるのは当然な訳で、逆にクラスが違っても部活やクラブ活動が同じであったからというパターンもある訳です。
その趣味に没頭していた私とは違い、品行方正且つ学業の成績も優秀であった彼らとでは、雲泥の違いがあったのにも関わらず、今にして考えてみても、何故に私の様な落ちこぼれと仲良くしてくれたのだろうかという素朴な疑問が残るのです。
当時は、それでも特に深く考える事もなく、まっ、いいかという安易な感覚で付き合っていたのですが、社会人になってからは、どんどん医師や薬剤師、そして社会人としての信用や信頼を高めていく彼らとは違い、ちゃらんぽらんな子供の様な性格と性質を保ったままで、年だけは取ってしまったという感じの私なのです。
今回のブログ記事を此処まで書いた時点で一度最初から読み返してみましたら、最初の題目の「竹馬の友」とするには、年齢的な範囲を少し広げ過ぎたかなとも思ったのですが、実際に保育園の時から続く年齢的にも正真正銘の「竹馬の友」と呼べる者が幾人もおります事から、それらに付いては、「竹馬の友②」でという事で、次の機会に続くとしますが、その続きを見たいと思われる奇特な方がいてくれたらと。
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