先日、子どもの受験校の受験票が届きました。
初めての受験、自分の写真が少しはがれているのをみた我が子、
「はがれかけてる~」といいながら
完全にはがしてしまおうとするという・・・
私は瞬間、「何してるのっ!!」絶叫です。
でも考えてみたら、子どもにとっては初めてのことなので
それがいいことかどうか、判断する枠がない。
その枠を、できるだけたくさん得ることが教育なのですが
その反面、持っている枠にとらわれすぎて
柔軟な考えができなくなってくる可能性もあります。
でも持っている枠を組み合わせて
新しい枠を作る、ということを知るのも教育。
短大で学生を相手にしていると
この教育の大切さが、
特に義務教育の大切さがわかります。
考えるということ、やり遂げるということ、
そしてそれから得られる自己効力感。
得意不得意があるということ、
それをどうやってカバーしていくか
知恵を使うということ。
義務教育の間に経験しておかないと
高等教育では若干難しくなってくるように思います。
(あくまで私の感覚で、ですが。
もちろん、高等教育で自己効力感を体験するのも大切です)
人との競争のお受験は、私はあまり好きではありません。
でも自分と戦って、もうこれ以上やることはない
どんな結果がでても受け入れられる、になるのであれば
それは貴重な経験となっていくのでしょう。
初めての受験、自分の写真が少しはがれているのをみた我が子、
「はがれかけてる~」といいながら
完全にはがしてしまおうとするという・・・
私は瞬間、「何してるのっ!!」絶叫です。
でも考えてみたら、子どもにとっては初めてのことなので
それがいいことかどうか、判断する枠がない。
その枠を、できるだけたくさん得ることが教育なのですが
その反面、持っている枠にとらわれすぎて
柔軟な考えができなくなってくる可能性もあります。
でも持っている枠を組み合わせて
新しい枠を作る、ということを知るのも教育。
短大で学生を相手にしていると
この教育の大切さが、
特に義務教育の大切さがわかります。
考えるということ、やり遂げるということ、
そしてそれから得られる自己効力感。
得意不得意があるということ、
それをどうやってカバーしていくか
知恵を使うということ。
義務教育の間に経験しておかないと
高等教育では若干難しくなってくるように思います。
(あくまで私の感覚で、ですが。
もちろん、高等教育で自己効力感を体験するのも大切です)
人との競争のお受験は、私はあまり好きではありません。
でも自分と戦って、もうこれ以上やることはない
どんな結果がでても受け入れられる、になるのであれば
それは貴重な経験となっていくのでしょう。