先を見れば…
人間死ぬと、
浮遊する、どこぞのかたが
迎えに来てくれるという。
そしてそのお迎えは
徳を積んだ者ほど、
また、
その徳に比例する数の
高次な浮遊するかたが
迎えに来て
ナビして下さるという。
私は、
私が死んでも
おそらくは悲しむ人間はいない
んじゃないかなと思っていて、
まあそれはそれで
構わないと、
強がりではなく、
事実、そう思っているのである。
裏を返せば、
誰にも執着させていないという、
ある意味、
自負である。
(ニュアンスが難しいかもですね)
そしてそう思う根底には、
やはり
冒頭に書いた
死んでから先を見据えねばならない
という、
必然性を感じからでございます。
はい、死にました〜
私、こっから先どこに行けばいいの?
ヤバいっしょ、
このままここにいたら
そのうち動けなくなっちゃうじゃん…😱
ってな具合で、
やっぱり案内役が必要です。
でもって案内役には
そりゃ高次なかたが来て下さったら、
そりゃ誇らしいわ。
我が人生が、
誇らしい。
誰に勝ったとか、
何の賞をもらったとか、
それが誰かの役に立たなければ
ただの自己満足。
自我を、欲を満たしだけ。
まあでもこれは、
単純な話でもございません。
その産物により
親が喜んでくれた。とか、
心身が鍛えられた。とか、
家族を養うために。とか、
まあ、
色々な諸事情がございますから、
勿論、
ケースバイケースでもございます。
つまり、
死んだあとの環境が
一大事なんではなかろかと、
そう思っております。
勿論、
閲覧数伸ばすための
猫画像😝