まあるい地球

雑多な内容のブログです。

日記 私の父

2023-05-31 05:19:00 | エッセイ
日記 私の父

父は、母とは3度目の結婚でございました。母とはひと回り程の歳の差で、母は初婚でございました。


母は父と出逢った時、
『この人なら!』と直感したそうです。

『この人なら!』というのは、この人なら出世するだろう、と、見込んで結婚したそうです。


母は勘の鋭い人で、この直感もまた、見事に当たったのでございました。


後年、母は述懐しながら、よく口にしておりました。

『○○○○(父のフルネーム)という人は、太く短くの人生だった』と。



父は無学で、裸一貫で成り上がり、晩年、よく母に言って聞かせたそうです。


『 これでもうお前たちが、一生困らないだけの財産は築いたからな』と。




父は、見た目は○○ザ。(画像参照)
見た目は、オシャレな○○ザ、でございました。


膝頭位の大きさの、図柄がよくわからない刺青も、彫ってございましたけれど、指は欠ける事なく、10本全て揃ってございました。



ある時なんかは旅行先で、見知らぬ若衆から、『 アニキ、オス!』と声をかけられた事もあったんだと、母が笑いながら教えてくれました。


愛車も私が記憶する限りでは、リンカーンコンチネンタルや、シボレー。一時は、幌ジープなんて頃もございました。(要は外車好きで、飽き性)



事業も手広く、金融なんかもしていたようで、ある時物置小屋に入ってみたら、『 金かえせ!!』などと書かれたポスターなんかも、見た記憶がございました。


逃げられた客から少しでも金目の物をと、の事でしょうか。


この物置小屋には同じ洗剤などが幾つもあったりし、ある日突然唐突にギターなど、子供絡みの物が、子供部屋の片隅に、ポイッと置かれたりしていた事もございました。



そんなある日、母から、『○○の店で玉ねぎ買って来て』と店指定でお使いを頼まれまして、言われたとおり買いに行きました。


こちらの店は八百屋さんで、ところてんを買う際には、ところてんの塊を、先に網がついた木の筒に入れ、にゅう〜っと、押し出されて来るのを見るのが楽しみでありました。


そんな八百屋さんは、家の近くでも商いをしていたので、ある日、何故遠いその店なのかと母に問えば、

『 あそこにお金を貸しているから、パパが作った玉ねぎを無料であげて、少しでも足しにしてるのよ 』との事でございました。


その玉ねぎは、一般的に売られている玉ねぎより一回りも二回り小さいのでした。


子供心にも幾ら原価ゼロだとしても、たかが数十円儲けたところで、どれほどの足しになるのか、甚だ疑問の残るところでございました。



生来の世話好きなんでしょうか、父は養鶏や畑なんぞも趣味としていたのでございました。



続く。






日記 父の癌 3

2023-05-30 08:10:00 | エッセイ
日記 父の癌 3

当時住んでいた地域では、自宅で葬儀を執り行うのが一般的でした。

隣近所の奥さんたちが、白い割烹着やエプロン姿で、あれこれと忙しく動き回って、お斎の支度などをしてくれた光景を、今でもぼんやり覚えております。



人は死ぬと、身内や所縁のある者へ音で挨拶に来ると云う。

父もまた例外ではありませんでした。


母は、父の入院先へ泊まり込みで詰めていたので、父の亡くなる数日前から、家にいるのは祖母と、私たち子供たちだけでございました。


そんなある日の深夜、突然、『の〜っちり』という異様な音で、祖母と私たちは目を覚ましたのでございました。


父の挨拶だとわかったのは後年になってからで、この時は、ただただ恐く、恐れ慄いておりました。
(正直、『の〜っちり』は、今でも怖いです。)


父には悪いけれど、『の〜っちり』は不気味過ぎで、怖過ぎなんであります。


食器が割れる音、が、一般的でしょうか。

『の〜っちり』なんて音、後にも先にも聞いたのは、あの時だけでございました。



そんな異様なモノ音で起こされて、恐過ぎで身動き一つとれなかったけれど、かと言って何事もなかった事にしてまた寝るなんて事も出来ず、祖母と私たちは、音の発生源であろう場所を確認しにら恐る恐る外へ出たのでございました。


皆がこの辺りから聞こえた、という場所を、翌朝明るくなってからも、再度検証したけれど、変わった様子は一切見つける事は出来ませんでした。


それから記憶にあるのは、父の棺に、釘を石で打ちつけている場面でございました。









日記 父の癌 2

2023-05-28 08:06:09 | エッセイ
当時私は小学生で、放課後、校内で友人と遊んでいると、私に、アナウンスで呼び出しがかかりました。

『なんだろうね…』などと友人と話しながら職員室へ向かい、職員室の出入り近くに座っている先生に、『○○先生お願いします。』
と言ったんだと思います。

担任が涙を拭うように目にハンカチを当てながら、近づいて来たのを今でも鮮明に覚えております。

その、めちゃくちゃ怖い担任の女性教師は、私にだけ、すぐに帰宅するように告げました。
 理由は一切言いませんでした。

それでも私は想像が追いつかず、ただ黙々と、長い家路を歩いたのでした。


帰宅してみればそこには、普段いない親戚がいたりして、かなり騒然としておりました。

母の姿は見当たらなかったと、記憶しております。


続く…












日記 父の癌

2023-05-28 08:05:46 | エッセイ
日記 父の癌

父の癌が発覚したのは、40年程前になるでしょうか、
享年53歳の父でございました。

さぞかし痛い闘病だったと思います。

今みたいにインターネットで調べる、なんて出来ない時代の中、母はどこからか、癌に効くと小耳に挟んだ情報を、ほぼ全て実行したと思います。

生きたドジョウなんかも、父は丸呑みしておりました。
タバコなどもメンソールに変えたり、ありとあらゆる事をしておりました。

東京の大きな病院に手術入院した際には、癌は飛沫感染する可能性があるとの事で、母が見舞いに行った時には、数メートル離れて面会していたそうです。
屋外の3人がけのベンチに一人で座り、その隣のベンチにもう一人が座る、といった具合であったそうです。

父は散々手術をした挙句、最終的には声はボイスチャージャー(かな?)になりました。が、然程使う事もなく死を迎えました。


まだ自宅で闘病している頃に、奇妙な話が一つあったと、母がよく話しておりました。

一人の見知らぬお婆さんが、背中に風呂敷を背負って訪ねて来たそうです。 

銅像だか木造だか、忘れてしまいましたが…
お釈迦さまだったかな…

置き物を買いませんか?
との事でございました。

対応した母は、今それどころではないとの事でお断りしたところ、そのお婆さんは去って行ったそうです。

父に誰が来たのか聞かれた母は、その話をすると、父は興味があったそうで、母は慌てて外へ飛び出して、そのお婆さんを探したそうです。

幾らどう探しても見つからず、不思議だったと、後年母がよく話して聞かせてくれました。




続く







日記 今朝の夢

2023-05-27 05:04:00 | 日記
日記 今朝の夢

今朝見た夢は、物騒でありました。

私は、どこかへ向かっておりました。
電車を降りてバスに乗っておりました。

場所は、東京の新橋、銀座といった風情。

バスの終点は駅で、
大概の乗客はその終点の駅で降りるのだけれど、

なぜか一つ前のバス停で、
乗客が慌てて降りて行くのを見て、

ふと窓の外に目をやれば、
その先は大渋滞で、
しかも白煙も漂っていたのでありました。
なので私も咄嗟にバスを降りたのでした。

降りてみれば、
足早に通り過ぎて行く人々と、
警察か自衛隊が設置したであろう
バリケードから見物する者とおりました。

バスを降りたところに、
丁度無人のバリケードがあったので、私はひとまず見物する事に致しました。

どうやら、
包丁を持った男がいる、
との事でありました。

現実では、包丁くらいで警察は、こんなにも動かない筈ではありますが、これは夢なので。


すぐ横の道路を、包丁男を取り押さえるべく、大勢の警察官が走って行ったのを目の当たりにし、
怖くなった私は、一目散に電車に乗ってその場から去る事に致しました。


改札を潜ると、
やはり人々で混んでおりました。

そしてその駅は、
夢でだけたまに出てくる、
現実では存在しない駅でありました。

私は、どこまで続いているのかわからない階段を、大勢の人たちとせっせと登っておりました。

一般的には、地下へ降りるんでしょうけれど、コレは夢であります。

右階段が急いで登れる人用で、
私はしばらくして左階段へ移りました。

左階段はスローペースの人用なので、足を悪くしている人が多く、数段上ったところで、動きが止まってしまったのでした。


以上、ココで目が覚めました。

感想
よくわからん。