日記 様々な思想と思惑からの積善
数年前、
とある国会議員さんのお話を、
拝聴しておりました。
まあ、
色々な事を配慮して、
オブラートに包みますけれど、
そのかたの口から、
姥捨山、
の話が出たのでございました。
その席の場所がら、
反対意見の出難い向きがございましたけれど、
微妙な雰囲気には
傾いたと思います。
が、
まあ、ある意味、
その思想の気持ちは
わかるのでございました。
例えば
裸族のでは、
長老が、
毒味を兼ねて
いの一番に飯を食べるのである。
若者は、
若者には、
死なないでもらいたい配慮からである。
私も歳とって、
歩けなくなったら…
一人で何も出来ない
役立たずになったら…
…
わからない。
だから、
今この健康体を使って
積善をするほかないのである。
私なりの
無理のない、
楽しめる
積善。
積善を楽しめるというのは、
ある意味、
賜れし誉れである。
1番の幸せ者ではなかろうか。