日記 私の祖母
母方の祖母の話しです。
父方は、全く知りません。
母は一人っ子でしたので、祖母と屋根を同じくしておりました。
因みに祖父の命日は、
昭和四四年四月四日でありました。
仏壇にある位牌のその数字を目にする度に、子供ながらに凄いな…と思っておりました。
私の祖母も苦労人であったと、幼少時に、よく母から聞かされておりました。
なんでも祖父が病弱で、普通に勤めに出れなかったようでございました。
なものですから、子供(私の母)を授かった時には、祖母の姉だか妹だかに養子に出そうかと、話しが持ち上がったそうで、よく母が恨み節的に私に話してくれました。
とはいえ結局そんな事はせず、たった一人の子どもを、貧しいながらも育てたようでございました。
母曰く、祖母は火事に遭ってから、頭がおかしくなったんだ、と話しておりました。
どうも昔、火事に遭ったらしいです。母が子供の頃の話しです。
なものですから、祖母は火には異常に恐れをなし、火の気など一切ない自身の部屋に私を招き入れて、火事は起きていないか聞いて来るのでございました。
無いよ、大丈夫。
火なんて無い。
そう言うだけで祖母は安堵し、お礼にお小遣いを握らせるのでございました。
孫は他にも数名いたのですが、取り合ってくれる孫は、私のみでした。
毎日毎日日に何度も同じ事を聞かれるので、私の兄弟たちは嫌気が差し、取り合わないのでございました。
私は、祖母がそうなった事情も知っておりましたので可哀想にも思い、またお小遣いをくれるので、全く嫌ではありませんでした。
逆に、断る兄弟の心情が理解出来ませんでした。
続く…。
かなあ…。
そんな祖母は、命の母の愛用者でございました。毎日飲んでおりました。