こんばんは!ちょっと間が開いてしまいましたね!すみませんっ!!
TAP DO!FC(ファンクラブ)の方に発行しております、年に1度の冊子「会報誌」の執筆活動をしておりました!なんとか、印刷会社への発注も間に合いそうです!
この間、来年こそは脱雨男ということで、新潟へ向かう途中のサービスエリアで見つけた、携帯ストラップとしては大きすぎる黄色いテルテルボーズを買いまして・・・今、携帯にぶら下がっています。どうやら、このテルテルくんは、東北復興の意味を持ち、義援金になるようで、しかも、テルテルボーズとは、俺らしい・・・(認めたくないが)ということでこれは買いだな・・・。と。
新潟公演に東京から足を運んでくださった方が、俺が携帯を持ってうろうろしていた俺を見つけ「ああ!そのテルテルボーズ、まさるさんに買おうと思った!よかった、買わなくて!」と・・・おいおい(汗)どんなイメージ???
ま、そんなイメージでしょう(笑)
最近、ソロライブあけで、コードの仕組みでわからないことがあるので、ギターの本を学生時代ぶりに買って、お勉強・・・曲を作るのに不自由はしていませんでしたが、もっとパフォーマンス力をあげないとね!ちょっとこの本、とっても俺向き!バラバラと覚えさせるのではなく、関係性がわかる感じで!がんばろ!
さてさて、まだまだ、オリジナル曲・ライブのお話しがしきれていませんね!
今日は、今回作った『SUPERSTITION』のおはなし。
自分のオリジナルの中では、一番新しい曲です。
「superstition」という言葉、自分にはなんとなくいいイメージがあるけど、ふと、思いたって携帯の辞典で見てみたら・・・迷信、悪しき信仰・・・って書いてあった。「え!?」って思った。
迷信をメルヘンな言葉として捕らえていたんですね・・・今でもその感じは変わらないけど、悪しき信仰って(汗)。
夜口笛を吹くとヘビが出るとか・・・親子の熊を殺すと祟りがあるとか・・・前者は「夜は静かに・・・」後者は「生き物の子孫繁栄のために・・・」。言い伝えって、ちゃんと意味があって、何かを守るためだったり、自分自身に返ってくるものだったり、なんだか、言い伝えって好きなんですよね!ひねりがあって(笑)。日本昔話とか、童話みたいで。
そんな反面、「悪しき信仰」という意味でも、なんか、魅かれるものがあったんですよね、いい意味だけじゃなくて・・・。
「言い伝え」をいつまでも信じ続ける人にとって「言い伝え」は「言い伝えの」ままで、それを疑い始めた人にとって「言い伝え」は「迷信」になるんでしょう・・
信仰って全ての人が持っているものだと思う。それが、特定の神や、偶像信仰であったり、お参りしたり、もっと言ってしまえば、自分自身への信仰・・・願掛けだったり、日常の癖さえも、それにあたると思うんです。自分を信じること、これは誰もが必ず持っていなくてはいけない、持っていてほしい「信仰」の一つだと思う。
音楽の道を歩き始めて、芸能の道をさまよっていた頃・・・(ま、さまようという意味では今でもそうか?)。ギター1本で作った曲があったんですね・・・これは、形にしていませんが、自分が野球・教師・一般企業を経由して音楽の道に進んだ時に、「本当にこれでよかったのか・・・」と悩んだ時期に出来たもので、
「自分が歩いてきた道をずっと眺めてきたであろう物(星)に、どうか、これが間違いでないと言ってほしい」と言っているんですね。今考えたら、スタート時点で負けてますよね(笑)。それでも若さか、真剣に悩んでいたんです。周りの友人は安定した社会の一員となり、疎遠になっていくし、ゴールが見えないことに不安はなかったけれど、孤独な戦いだった・・・。
信じるものがほしかったんですね。
それから、太鼓と出逢い、レミゼに出て、TAP DO!のメンバーにもなり、自分の音楽を続けていく過程で、たくさんの方に出会ったんですね!ライブにきてくださるみなさんのことです。
みなさんを見ていると、これでいいじゃないか!このまま倒れても!って思うんですよ。みなさんがいて、楽しんでいるということが、自分が音楽をやっていくのに「十分すぎる」理由なんですね。
だから、僕にとって信仰とは、「自分自身」であり、「みなさん」であって、そこに音楽という貢物をささげているんです。以前の空虚というか・見えなさ過ぎる信仰ではなく、今、目の前にいる信じるもののため・・・というとちょっとキザですが(汗)・・・そんな心境で音楽に取り組めているんですね!本当に幸せ物だと思います。
そんな心境の変化があり、同じように音楽・恋愛・生活を捉えた時に、この歌が生まれました。『SUPERSTITION』です。
「愛は美しきSUPERSTITION」「苦悩も気高きSUPERSTITION」
恋愛も自分が信じたいものであり、悩んだことも今となっては信じたいものだと。
サビでは「上々ですか?人生は」と自分に問いかけてる。
あえて返事の詞は書いてませんが、自信を持って『上々だ!』と言えるから問いかけたんだと思う。昔の自分にはとても怖くて問いかけられない質問だから。
ちょっと音楽的に話すと、こんな歌詞をさわやかな8ビートに乗せても、順風満帆な感じがして嫌だな・・・と。ここにいたるまでの歩みは舗装された道ではなかったし。ただ、ブレーキのかからない感じの疾走感は失いたくなかったので8分の12拍子に乗せました!
なんか、乗り次第で楕円が転がるような凸凹した感じがあって。
しかも間奏で一度、大きな3拍子に変化しますが、8分の12拍子ということで、アクセントの違いだけで大きな凸凹にはまったような感じがして・・・そこから、ドラム・ベースフィルで乗り越えてまた転がり始める・・・みたいな表現をしてます。紆余曲折した感じはこの詞には合っているのかな(笑)。
メンバーはこの曲を聴いたときに「キッスっぽい」と言ってました・・・うん、言われてみれば確かに、「KISS」の「デトロイト・ロックシティ」に似てる気がして。あまり、何かに似てるというのは好きではないんですが、「KISS」なら、悪い気もせず、「あ、そうですかね~」って言ったらベーシストの誠さんが「口から赤い液体出そうか?」とのたまったので、「ダメです!」と一喝しておきました。(笑)
今日は、長くなちゃいました!一曲の思いでまだまだ書けますが、この辺で!
おやすみなさい!
MASARU♪
TAP DO!FC(ファンクラブ)の方に発行しております、年に1度の冊子「会報誌」の執筆活動をしておりました!なんとか、印刷会社への発注も間に合いそうです!
この間、来年こそは脱雨男ということで、新潟へ向かう途中のサービスエリアで見つけた、携帯ストラップとしては大きすぎる黄色いテルテルボーズを買いまして・・・今、携帯にぶら下がっています。どうやら、このテルテルくんは、東北復興の意味を持ち、義援金になるようで、しかも、テルテルボーズとは、俺らしい・・・(認めたくないが)ということでこれは買いだな・・・。と。
新潟公演に東京から足を運んでくださった方が、俺が携帯を持ってうろうろしていた俺を見つけ「ああ!そのテルテルボーズ、まさるさんに買おうと思った!よかった、買わなくて!」と・・・おいおい(汗)どんなイメージ???
ま、そんなイメージでしょう(笑)
最近、ソロライブあけで、コードの仕組みでわからないことがあるので、ギターの本を学生時代ぶりに買って、お勉強・・・曲を作るのに不自由はしていませんでしたが、もっとパフォーマンス力をあげないとね!ちょっとこの本、とっても俺向き!バラバラと覚えさせるのではなく、関係性がわかる感じで!がんばろ!
さてさて、まだまだ、オリジナル曲・ライブのお話しがしきれていませんね!
今日は、今回作った『SUPERSTITION』のおはなし。
自分のオリジナルの中では、一番新しい曲です。
「superstition」という言葉、自分にはなんとなくいいイメージがあるけど、ふと、思いたって携帯の辞典で見てみたら・・・迷信、悪しき信仰・・・って書いてあった。「え!?」って思った。
迷信をメルヘンな言葉として捕らえていたんですね・・・今でもその感じは変わらないけど、悪しき信仰って(汗)。
夜口笛を吹くとヘビが出るとか・・・親子の熊を殺すと祟りがあるとか・・・前者は「夜は静かに・・・」後者は「生き物の子孫繁栄のために・・・」。言い伝えって、ちゃんと意味があって、何かを守るためだったり、自分自身に返ってくるものだったり、なんだか、言い伝えって好きなんですよね!ひねりがあって(笑)。日本昔話とか、童話みたいで。
そんな反面、「悪しき信仰」という意味でも、なんか、魅かれるものがあったんですよね、いい意味だけじゃなくて・・・。
「言い伝え」をいつまでも信じ続ける人にとって「言い伝え」は「言い伝えの」ままで、それを疑い始めた人にとって「言い伝え」は「迷信」になるんでしょう・・
信仰って全ての人が持っているものだと思う。それが、特定の神や、偶像信仰であったり、お参りしたり、もっと言ってしまえば、自分自身への信仰・・・願掛けだったり、日常の癖さえも、それにあたると思うんです。自分を信じること、これは誰もが必ず持っていなくてはいけない、持っていてほしい「信仰」の一つだと思う。
音楽の道を歩き始めて、芸能の道をさまよっていた頃・・・(ま、さまようという意味では今でもそうか?)。ギター1本で作った曲があったんですね・・・これは、形にしていませんが、自分が野球・教師・一般企業を経由して音楽の道に進んだ時に、「本当にこれでよかったのか・・・」と悩んだ時期に出来たもので、
「自分が歩いてきた道をずっと眺めてきたであろう物(星)に、どうか、これが間違いでないと言ってほしい」と言っているんですね。今考えたら、スタート時点で負けてますよね(笑)。それでも若さか、真剣に悩んでいたんです。周りの友人は安定した社会の一員となり、疎遠になっていくし、ゴールが見えないことに不安はなかったけれど、孤独な戦いだった・・・。
信じるものがほしかったんですね。
それから、太鼓と出逢い、レミゼに出て、TAP DO!のメンバーにもなり、自分の音楽を続けていく過程で、たくさんの方に出会ったんですね!ライブにきてくださるみなさんのことです。
みなさんを見ていると、これでいいじゃないか!このまま倒れても!って思うんですよ。みなさんがいて、楽しんでいるということが、自分が音楽をやっていくのに「十分すぎる」理由なんですね。
だから、僕にとって信仰とは、「自分自身」であり、「みなさん」であって、そこに音楽という貢物をささげているんです。以前の空虚というか・見えなさ過ぎる信仰ではなく、今、目の前にいる信じるもののため・・・というとちょっとキザですが(汗)・・・そんな心境で音楽に取り組めているんですね!本当に幸せ物だと思います。
そんな心境の変化があり、同じように音楽・恋愛・生活を捉えた時に、この歌が生まれました。『SUPERSTITION』です。
「愛は美しきSUPERSTITION」「苦悩も気高きSUPERSTITION」
恋愛も自分が信じたいものであり、悩んだことも今となっては信じたいものだと。
サビでは「上々ですか?人生は」と自分に問いかけてる。
あえて返事の詞は書いてませんが、自信を持って『上々だ!』と言えるから問いかけたんだと思う。昔の自分にはとても怖くて問いかけられない質問だから。
ちょっと音楽的に話すと、こんな歌詞をさわやかな8ビートに乗せても、順風満帆な感じがして嫌だな・・・と。ここにいたるまでの歩みは舗装された道ではなかったし。ただ、ブレーキのかからない感じの疾走感は失いたくなかったので8分の12拍子に乗せました!
なんか、乗り次第で楕円が転がるような凸凹した感じがあって。
しかも間奏で一度、大きな3拍子に変化しますが、8分の12拍子ということで、アクセントの違いだけで大きな凸凹にはまったような感じがして・・・そこから、ドラム・ベースフィルで乗り越えてまた転がり始める・・・みたいな表現をしてます。紆余曲折した感じはこの詞には合っているのかな(笑)。
メンバーはこの曲を聴いたときに「キッスっぽい」と言ってました・・・うん、言われてみれば確かに、「KISS」の「デトロイト・ロックシティ」に似てる気がして。あまり、何かに似てるというのは好きではないんですが、「KISS」なら、悪い気もせず、「あ、そうですかね~」って言ったらベーシストの誠さんが「口から赤い液体出そうか?」とのたまったので、「ダメです!」と一喝しておきました。(笑)
今日は、長くなちゃいました!一曲の思いでまだまだ書けますが、この辺で!
おやすみなさい!
MASARU♪
勝さんの音楽、皆を思う優しさは、とても温かい気持ちになります。
また聴きたいです。〓
今、ピアノをリハビリ代わりに練習(学生時代以来マジに)、1時間アッと言う間です。あと腕立て伏せやら左手で旦那を、ウソ!クッションをパンチまだ痛いけど…。
旦那さまにとっては
痛い!リハビリですね!
ホントに、クッションにして下さいよっ(^.^)b