2週間ぶりの更新になりました・・・
更新ができなかった2週間の間、マダガスカルでは大変なことが起きていました
もともと、対立していた
マダガスカル大統領と
アンタナナリボ市長が、ある出来事をきっかけに対立激化し、
1月25日(日)に
大きなデモが行われ、市内は物々しい状況になりました。
1月26日(月)
大統領所有のラジオ局や食品会社が焼き討ちに遭い、街中混乱状態。
マダガスカル国内数箇所にその食品会社のテンポがあり、タナ市内にも数箇所あるのですが、ほとんどが同じタイミングで放火され、多数の死者がでました。さらにはその近辺にある大きな外資系の食品会社やショップなども飛び火を受ける形で物取りや放火の被害に遭い、一時無秩序な状態へ。
翌日、事態は悪化したため、激化した暴徒鎮静のため軍や警察が出動し、さらに死者が出た様子でした。
夜間20:00~05:00は全ての住人に外出禁止令が発令されるなど、とても不安定な状況が続きました。(今でも夜間外出禁止令は続いています)
日頃利用しているスーパーのほとんどが被害に遭ってしまい、更に外出も出来ない状況で、一番心配したのが水の確保でした。それから食料。食料はちょっとは蓄えがあったものの、こういう事態を想定しての備蓄ではなかったので、もし長期化すればすぐに底をつくだろうというのは目に見えていました。
私が住んでいる場所は中心地からちょっと離れたところにあるので、いつもと変わらないくらいとても静かで、近くのガソリンスタンドが開いているという話を聞いたので、ドライバーに水や缶詰、パスタなどを買いに行ってもらいました。とりあえず水を確保できたというだけでも気持ちホッとしました。
軍、警察の出動後、市内では物取りやドサクサに紛れた犯罪が減り、街中の状況も少しずつですが落ち着きを取り戻しつつあるようでした。
暴動発生から1週間以上が過ぎ、市内の様子は暴動前とほとんど変わらないような感じで日常を取り戻しているかのようにみえますが、相変わらず集会や小規模デモは行われているらしく、大統領と市長による話し合いでの解決も試みられたようですが、そう簡単に和解できるはずがなく、街中の様子とは裏腹に、未だ、いつ何が起きてもおかしくないという不安定な状況は続いています・・・
暴動発生直後、中心部のマンションに住んでいる友達は、同じマンションに住む政府高官の家が放火されるかもしれないという噂が流れ、一時避難という形で、私の家で事態が落ち着くまで過ごすということになりました。
それから、近くに一人で住んでいる日本人の女の子も一人で居るのは危険だし不安だろうし、こういうときはみんなで
協力し合おうということで、みんなで
共同生活です
この
軟禁状態の1週間、友達が居てくれたおかげで精神的に落ち着いて過ごすことができました。もし一人だったら、フランス語もマダガスカル語もわからない私が情報の収集もできるわけがなく、とても不安な
日々を過ごすことになっていたと思います。
マダガスカルでは今回のような暴動はもちろん初めてではなく、2002年の大統領選挙の時にはもっと規模の大きい暴動がおきていたようです。
アフリカの中でも比較的治安がいいといわれているマダガスカル。そのマダガスカルで暴動は無いだろうと
思ってはいませんでしたが、「自分が滞在する3年間、おそらくないだろう…」という根拠の無い勝手な思い込みが心のどこかにありました
今回の暴動をきっかけにちょっと気が引き締まりました
そう意識していないつもりでもきっと日本で生活しているみたいに
平和ボケしているようなところがあったんだと認識しました。
「暴動なんか起きないだろう」「犯罪に巻き込まれることはないだろう」というような、そうであって欲しいという願いもあって、「自分にはおきないことだろう」という気持ちがどこかにあったんだと思います。
今回、何か大きな被害を受けたわけではありませんが、精神的にはかなりショックを受けました。これからは何が起きてもおかしくない場所にいるということを心の片隅に置きながら生活しなきゃいけないと思いました。
ということで、もちろん、バドミントンもテニスも、そして楽しかったフランス語の授業も今は
お預けです…
早く以前のような陽気なマダガスカルが戻ってくるといいなぁ・・・
ブログの更新が無いことで、心配してメールをくださったみなさん、ありがとうございました
色々な制限はありますが、とりあえず、無事に元気に過ごしています