幸福の芽 happy sprout みろく maitri Ⅱ

《心の時代へのパラダイムシフト》自分の心をつかんで幸せになりませんか。幸福の芽を探して一歩前に出てみませんか。

伊勢にて 2015.1.2

2016-01-03 05:23:00 | みろく神示

今年も伊勢に初詣でをしました。
暖かく、太陽の光がある時は眩しく、
ある時は暖かい日でした。


外宮







伊勢市駅前の看板に星を見つけました。



内宮













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「護りの年」

2016-01-03 05:03:00 | みろく神示

Master of Masterより新年の言葉です。

「 護りの年 」

This year is " Defend ".

今年は " Protect "より " Defend "の
言葉のほうが合っているようです。



2014年の新年は「激流の年」
" Raging stream "

近年の災害の多さと
この年を境に世界がたくさんの混乱が
起きました。
まさに世界が激流に飲み込まれていく、
そう感じた年でした。



2015年は「日本と世界の祈りの年」
" Prayer of Japan and the world".

人が人を殺すというニュースが
こんなにも頻繁に流れる時が
きてしまったと感じました。



今年は「護りの年」、
深い意味が含まれています。







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世界宗教の神々

2015-11-16 00:33:00 | みろく神示

世界宗教と言われる宗教、
過去の歴史の中で人々を導いた宗教、
旧約聖書、キリスト教、イスラム教・・・。

この地球を中心とする神々の世界、
Master of Masterがおられ、
世界宗教の神々がおられる世界において、
世界宗教の神と神が争い、お互いを傷つけたり、
無き者としてはいないのに
なぜ、地上の人々は争うのか。

神々が地球の発展の為に力を尽くしているのに
なぜ、地上の人々は破壊の道を歩むのか。

根本神仏が調和と発展を目指すように、
この世を創られたのに
なぜ、地上の人々が破壊と停滞を望むのか。

神々の世界において
世界の二大宗教の神と神は争っていないのだ。


                maitri







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祈り 2015.11.13

2015-11-13 22:33:00 | みろく神示

Masterへの祈り

「 Master of Master、
 
  この道、
  遥かな歩む道

  この世に生ある限り
  全世界救済に向かって
  歩んでまいります。

  Master of Master、

  ご守護、ご指導、
  よろしくお願い申し上げます。」

           maitri







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幸福の科学のしつこさについて

2015-11-13 22:13:00 | みろく神示
※11/9にupしたと思っていたのですが。


しばらく幸福の科学を思い出すことも
無いのですが、
時々しくこく付きまとうのがわかりますから
何でしたら私と私の神と神々と共に
12月のお祭りに参加してみましょうか。

一般も受け入れ可能なのでしょう。

また見張りを脇につけられるのでしょうか。
その場でリアルアクションを
起こすつもりはありません。
まあ、行ってみないとわかりませんが。

どなたかお祭りの詳細情報あったら
ください。



※追加
ただ、11/13現在、行く事自体が
生産性が無く、無駄と思ってきていますが。







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Prayer of peace in the world 2015.9.13 Miroku shows God

2015-09-13 11:33:00 | みろく神示
Prayer of Peace in the world

神よ、Master of Master、

どうぞ、今の日本の未来への言葉を
頂きたくお願い申し上げます。



天之御中主神、

「行く末は難い 

 ひとつのことが起きるならば
 そこには
 神仕組みは幾重にも重なっている。

 今回(2015.9.15)の災害にも
 大きな意思として
 現われているものでも幾つか
 みられる。
 日本の行く末が案じられる 」



神、Master of Master、天之御中主神、

「しかし、最も重要なことがある。」

栃木、幸福の科学総本山は
どのような状態だったのでしょうか。
以前から書いていますが神の怒りは大きい。
現政府の中に幸福の科学を擁護する方々が
多くいるのでしょうか。
はっきりと書きます。
幸福実現党の解党を求めます。
現政権で幸福の科学を支持、擁護することが
あれば、一層の災いが起きる可能性が
高いでしょう。

              Maitri







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大きな断念 2015.5.2

2015-05-02 02:43:00 | みろく神示

5/3は私にとって特別の日です。
その日を前に大きな断念をしなくては
なりません。
環太平洋の理想、希望の一筋の光が
今、見えなくなってしまいました。

blogに書いてきた内容、
ASEAN、アジアの国々と共に歩む日本、
ここまできて大きくずれています。

日本の経済政策についてではなく、
環太平洋の平和と繁栄、
私がblogを書かなくても現在の状況は
在り得たことでしょう。


ここで本当に残念ですが、
このblogに書いてきた環太平洋の
経済政策について
私が創造していたいたビジョンを
終了せざるを得ません。







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平和への祈り in 日本 2015.4.14

2015-04-14 00:43:00 | みろく神示
※4/17追加

平和への祈り 

Master of Master、
今の日本の不安定な磁場から
日本をお救いください。

        maitri


Master of Master、
南関東地震から
日本の人々をお救いください。



東日本大震災の時に幾重にも
重なった神仕組み
あれから4年今書くべきことは、
幸福の科学の間違いと
日本の政治の間違いです。


まず日本の政治です。
日本はあの時間違った経済政策に
より、日本が日本で無くなる事態に
なる可能性がありました。

今、私ができることは、
安倍首相にお伝えすることです。

天照大神より安倍首相へ
「和をもって尊しとなしなさい。
 あなたは智慧をしぼり近隣諸国と
 和を築くことを考えなくては
 ならない。」



そして幸福の科学、
一言で言えば、もうつぶれてしまって
良いのです。
政府は日本の宗教法人として
幸福の科学をこのまま存続させて
おくことを許してはならないのです。
霊言は社会にとって混乱と害悪でしか
ありません。
神を冒涜し人を軽んじています。
本来、宗教法人とは心の拠り所であり、
人間の幸福に役立つから宗教法人として
その存在が許されているものです。



追加
4/17大自然に心を向けて

「引き裂かれることを望む大地は無い。
 全て摂理の中にあるのだ。」







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神の厳しさと寛容さ

2015-03-30 01:33:00 | みろく神示

神は厳しいか、それとも神は寛容かと
考えることもあるでしょう。

神は厳しさも寛容さもどちらも
お持ちです。

このblogにも書いてきている因果の理法、
これは厳しいものだと思われるでしょうか。
そうではありません。
深く考えると神の愛であると解ります。

また人も植物も動物も様々です。
神は厳しいでしょうか。
多様性を良しとしています。
暖かい眼差しで見つめておられるでしょう。


神は私をもって何を表現されているか、
神は厳しい面をお持ちですが、
神はまた非常に寛容な方でもあります。

神のもとで身を正し、正義を愛し、
真摯に生きるものにとって
私をもってたくさんの許しと
私をもってたくさんのdetox(解毒作用)を
現されるでしょう。







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幸福の科学と現在の私について

2015-03-08 14:33:00 | みろく神示
※3/3、3/4のdiaryに記載したものです。
※3/8追加しました。

幸福の科学にとって私は脅威か。

彼らは私を無視して篭ったワールドを
築いていたほうが
お互い傷つかなくて良いと思います。

私が居なかったら、自分たちは指導で通った。
それは無いでしょう。
私が居なかったら一回目の選挙で
終わっていたはずです。

教団を立て直す、
今更、それも無いでしょう。

自分たちがダメだから私が居る、
それも無いでしょう。
元々の約束だったからです。

私は神が其処にある時に其処にいました。

私は神が其処を去る時に其処を去りました。

其処とは幸福の科学です。

神と共に在るということがどれほどに大切で
どれほどの価値あることか。

日々、様々な選択の中で神を
選び続けるということが
どういうことであるかということです。



では幸福の科学の教祖と教団の役目は何か。

もし、最初の神との契約をそのまま果たして
いたならば
・誠と父と妻と共に謙虚にそれぞれの役割を
 果たし、教団を運営してたら、それぞれが
 生かされた。
・法の継承が曲がることなく、伝えられた。
・後から現れる私を受け入れ、曲げられずに
 継承された法を私が社会に生かし、
 前代未聞の社会が現れた。

それがどうして変わってしまったか。
それ以前に戻ってみると解ります。

・神を蔑ろにし、自分が一番偉いとした教祖、
 教団から神が離れ、神の啓示がいっさい
 降りない。宗教として発展しない。
    ↑
 神に畏敬の念を持ち続け、謙虚に学び、
 祈っていたならばこうはならなかった。
 大いなる神に畏敬の念を持ち、教団を
 運営していたなら発展していた。


・家庭が崩壊し、神の認める信仰生活が
 送れないので他者からの信仰が立たない。
    ↑
 離婚もせず、夫婦で共に神が認めるような
 信仰生活を送っていたならば
 こうはならなかった。
 ちなみに私のポジションはご夫婦とは全く
 別の存在として与えられるべきものだった。


・我々は神に祈り、神により運営してきたが
 おかしくなってしまったと思っているが、
 一人ひとりが奢り高ぶる余り、神より
 偉くなっている事に気付いていない。
 (特に側近)
    ↑
 教団も教祖も常に謙虚であり、神と共に
 あろうとすれば、悪魔、悪霊に騙されず
 発展していた。
 

※ちなみに教祖と書いていますが
 私の教祖ではありません。

以上簡単ですが、書いてみました。
これだけの理由があったら、あなた方の存在は
神にとって不要でしょう。
つまり本来の役目から自分、自分達が偉いとして
行動してきた為、既に果すべき役割が無くなった
ということでしょう。

一言で言えば神を蔑ろにした為に起きたことです。

ですから、目先のことに目を奪われず、私に構わず、
まず信仰を正し、己を正し、信仰生活を
正すべきです。

その上で神が許されるならば、神は答えるでしょう。
しかし、それにはたくさんのことを詫び、
曲がってしまった法を修正しなくてはなりません。
    ↑
今更私は関与したくありません。
上記のことが明らかになって以降、私の役割は
幸福の科学と関係無いものとなりました。


特記します。
誠以外に、大川教祖にも時として神が法を
降ろしたことがあります。
たぶん本人は容易く法を降ろしてもらうことに慣れ、
神を上に置かず自分を上に置いて自ら主従の逆転を
起こしたことを忘れてしまったのでしょう。
それで全てを失いました。
法がいっさい降りないのはその為です。


※3/8追加
全ては信仰の下に信仰の下で展開していきます。
言葉や文章がきれいにまとまったところで
そこに神への信無くば、ただの言葉の羅列に
過ぎないとも言えると思いますが。
新たなことを言うものがあっても
そこに信無くば、それもただの分析になります。

幸福の科学の総合本部や王宮に行きたくない、
関係したくないというのは
早くからの私の願いでした。 
私はいつもそう祈っていました
つまり、必ず死闘となるということです。







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Real of Golgotha 神性と悪意の狭間で

2015-02-04 00:03:00 | みろく神示
※今の事件とあまり関係づけず読んで下さい。

  Real of Golgotha

2014.4.22に書いた記事です。
少し違った視点で書き直してみます。
http://blog.goo.ne.jp/mai77337733/e/e3acd07407d81258267fff82ec6dd7fa


 愛の教えを説いたメシアJesus Christ、
それ故にユダヤ教の神官たちはその教えの
内容については認めざるを得ず、
彼らの心、神性が大きく揺さぶられました。
まただからこそJesusに嫉妬もしました。
そしてその存在さえ無くなれば自らが
また高みに上がれるとも考えました。

権威が絶対の社会において権威の外で
メシアが法を説く時、為政者や
多くの権威者は自らの身の置き所が
どうなるのか案じました。

 その教えが広まるにつれ、その法が
本物であることが知られていきます。
その法が我がものになれば自分が
メシアになれる、その法を説く者が
居なくなれば自分がその法を説くことで
自分こそがメシアになれる、
そう考える者もいました。

蛇はそそのかします。
「イエスJesusが詫びるようにしむければ、
 全て自分のものになる」
イエスJesusを悪者にし、侘びを入れさせよう。
彼が侘びを入れたら私たちが正しいと言われる。
そうしたら私たちの立場は守られ、いづれ法は
私たちのものになる。
イエスJesusに侘びを入れさせよう。様々に
悪く言いイエスが詫びるようにしむけます。

蛇はもっとそそのかします。
「イエスJesusが磔になったら人々は
 もうメシアと思うまい。」

イエスJesusは彼らの悪意を見抜いており、
また同時に神性も見えています。表裏一体です。
イエスJesusは天に向かって祈ります。
「神よ、彼らの罪をお許しください。」

そしてゴルゴタの丘があるのです。
イエスと共に処刑されないよう弟子たちは
姿を消しました。
またメシアが処刑されることは無いだろう、
そうも考えました。
十字架にかかりイエスJesusは天に帰りました。

しかし、イエスJesusの存在が無くなったら
どうなったでしょう。
時間がたつにつれてイエスの弟子たちは
イエスの存在そのものによって
自ら存在意義があったことに気がつきます。
自分というものがイエスJesusによって
生かされていたことに気がつきます。
思い出すたびに愛の言葉が自らの神性に
響きます。

Jesusが復活した後、弟子たちは確信と
そして改心により、伝道を開始し、
神の愛を告げる使徒となりました。

あらゆる宗教を超えて
愛の姿を現す者がその命を失うとき
その時、多くの人々の神性に響き、
共鳴を起こしていきます。







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愛と正しさと自由

2015-01-18 02:33:00 | みろく神示

愛と正しさが大切
このブログに何度も書いてきています。
両方が大切です。

では愛と自由はどうでしょうか。
他者を愛する気持ち、思いやる気持ちがあるから、
人は自由でいることができます。
また自らが自由でいるから一人ひとりが
他者の自由を奪わず、
譲り合い、いたわり合うことをせずには
いられません。

そして正しさと自由はどうでしょうか。
人がひとりひとり正しく生きようとするから、
自由でいることができます。
また自らが自由でいるから一人ひとりが
他者の自由を奪わず、
自らを整えることになるのです。


さて、人には仏性があります。
この文章を読んで
そう思うと思われる人も多くおられるでしょう。

○○でなければ自分もそう思う。
何かできない理由を持ってできないという人、
思う人はみな神の子に他ありません。

理由をなくせば、そこにはユートピアが
出現することになるのです。







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平和と争い

2015-01-15 00:43:00 | みろく神示

平和と争い、その間にあるのは何か。

今、社会にさまざまなデモや争いが起きている。

平和を望む人は多い。
様々な価値観を認めその多様性divercityを良しと
する人々、多様性を求められる市場。

多様性を認め、様々な生き方、様々なモノ、
様々な分野での活躍があって良いものが生まれる。

しかし、人と自分をくらべて自分のほうが優りたい、
そういう気持ちがあまりにも強く愛が少ないと
そこに差別が生まれ、優劣が明確化し、
格差が生まれ、拡がり、
やがてそれが平和から争いに変わる。

いつの時代も格差は争いを生み、暴力につながった。
かつての大きな戦争の発端も格差による苦しみから
始まった。

格差を呼ぶ社会は
やがてそのような道を歩むことになる。

また差別も同じことである。
人と人を意図して分ける、そういう行為は
やがて社会や組織に不信とひずみを
呼び込むことになるだろう。

                 maitri







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仁とは何か

2015-01-12 19:53:00 | みろく神示

 「仁」とは何か
 絶対なる宇宙の法に帰結する。
 宇宙の力に逆らうものに仁無し。


 人の器とは
 人の器とは、その時々の器ではあるが、
 その人が一歩進めばその分だけ
 大きくなるものである
        

 生きるとは
 生きるとは
 日々を至誠をもって生きることである。

              1990.8.1



仁とは何か、
netで調べるとどうでしょうか。
中国思想の「五常の徳」のひとつであり、
孔子の中心的な倫理でしょうか。

孔子は「仁」を大切にしました。
真に孔子の思想を説くものに「仁」の無い人は
いない、そういうことであると思います。

孔子はこの世に生をもった時代の現象と共に
宇宙の成り立ち、宇宙に張り巡らされた法を
その身で感じ取っていました。
そういう者は神の厳しさだけではなく、
神の愛が何であるか感じ取ることも
できるのです。

神の愛を感じる者にとって、
「仁」は神の愛であり、「仁」を大切にし
体現するものは神の愛を体現しようとする者、
そういうことになります。

いや、自分はそうはなれないだろうと
いうことではなく、
自らの「器」というものは、
大きくしたいと思い努力をすれば、
それに応じて大きくしていくことができます。

しかし、その為しなくてはならないことは
日々、至誠に生きるということが大事な
人として生きる道であるということです。

孔子の思想を重んじる方は
この世的な価値観からいったん自らを
切り離して自らの生きる道を
整えるということが大切であると思います。






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日本と世界の祈りの年

2015-01-03 22:53:00 | みろく神示

2015年、新年の言葉です。

伊勢神宮、天照大御神からではありません。
Master of Masterからです。

「日本と世界の祈りの年」
This year is " Prayer of Japan and the world ".








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