もう数年間になると思いますが、
災害が多発しています。
私のブログは神仏について書いてきています。
神仏からみて災害はどう見えるか。
まず、雨風があるのは地球の自然現象です。
今、私は多くの桜の木と蓮に囲まれて過ごしています。
桜も蓮も必要があると私に語りかけてきます。
強風に煽られる蓮をみて痛々しいと思いました。
蓮は言いました。
「揺れるのも自然」
強風に耐えてそれを受け止めるのもこの地球の自然の中で
そして時間の流れの中で生きているということです。
以前書きましたが孔子が雨が降り、それが通り過ぎるのを
静かに待つという心境、こういうことが
時として必要であり、いつでもあり得ることです。
人生の中でも嵐の中でイノベーションをかけ、
駆け抜けるということもあるでしょうが、
起きる嵐によっては静かに受け止め通り過ぎるのを
待つということもあると思います。
しかし、雨風も災害になるとそれでは済みません。
神仏からみたらどうか。
地球という大きな環境の中で時間の流れの中で
多くのものを育んでおられる。
また人も様々な環境の中で多くのものを育み、
発展を目指す心が大切であると。
(育むのを忘れた?)
東日本大震災の時に書きました。
起きる災害に神仏の思いはどこにあるのか、
その意味を見出す、考えざるを得ないことです。
「 maitri diary 2011.3.31 予知について 」
神仕組みは幾重にも重なっています。
個々について何かしら意味があるのは個人の悟りと
して一人ひとりが神仏と対面して長い時間をかけて
悟るものであると思います。
東日本大震災の時の神仏の真意はまだ書くことが
できません。
その環境で影響力の高い人の思いが関係あると
いうことは確かにあります。その環境というものも
地球が、一国が、地域が、組織が、
またその組織の一部が、ということを鳥瞰的に
見つめることができると神仕組みのほんの一部を
知ることができるのだと思います。
(最近私の身の回りに起きたことについては
神仏にお聞きしたところ、トップの方がと
いうことではありませんが、全体として正法、
真理が広まることを邪魔をしたということは
ありませんか?)
目的のある祈りは大切です。
祈りをあげると人はそれを確実に
遂行しようとする力が本来湧き出てくるもので
あると思います。
また、起きること免れないならば大難を小難に
変えていくのも祈りです。
このように書いている私も日々祈り、
神仏に日々思いを向け、思慧を重ねている、
決して通りやすい道を歩いている訳ではありません。
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