幸福の芽 happy sprout みろく maitri Ⅱ

《心の時代へのパラダイムシフト》自分の心をつかんで幸せになりませんか。幸福の芽を探して一歩前に出てみませんか。

愛と正しさと自由

2015-01-18 02:33:00 | みろく神示

愛と正しさが大切
このブログに何度も書いてきています。
両方が大切です。

では愛と自由はどうでしょうか。
他者を愛する気持ち、思いやる気持ちがあるから、
人は自由でいることができます。
また自らが自由でいるから一人ひとりが
他者の自由を奪わず、
譲り合い、いたわり合うことをせずには
いられません。

そして正しさと自由はどうでしょうか。
人がひとりひとり正しく生きようとするから、
自由でいることができます。
また自らが自由でいるから一人ひとりが
他者の自由を奪わず、
自らを整えることになるのです。


さて、人には仏性があります。
この文章を読んで
そう思うと思われる人も多くおられるでしょう。

○○でなければ自分もそう思う。
何かできない理由を持ってできないという人、
思う人はみな神の子に他ありません。

理由をなくせば、そこにはユートピアが
出現することになるのです。







人気ブログランキングへ







  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平和と争い

2015-01-15 00:43:00 | みろく神示

平和と争い、その間にあるのは何か。

今、社会にさまざまなデモや争いが起きている。

平和を望む人は多い。
様々な価値観を認めその多様性divercityを良しと
する人々、多様性を求められる市場。

多様性を認め、様々な生き方、様々なモノ、
様々な分野での活躍があって良いものが生まれる。

しかし、人と自分をくらべて自分のほうが優りたい、
そういう気持ちがあまりにも強く愛が少ないと
そこに差別が生まれ、優劣が明確化し、
格差が生まれ、拡がり、
やがてそれが平和から争いに変わる。

いつの時代も格差は争いを生み、暴力につながった。
かつての大きな戦争の発端も格差による苦しみから
始まった。

格差を呼ぶ社会は
やがてそのような道を歩むことになる。

また差別も同じことである。
人と人を意図して分ける、そういう行為は
やがて社会や組織に不信とひずみを
呼び込むことになるだろう。

                 maitri







人気ブログランキングへ







  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仁とは何か

2015-01-12 19:53:00 | みろく神示

 「仁」とは何か
 絶対なる宇宙の法に帰結する。
 宇宙の力に逆らうものに仁無し。


 人の器とは
 人の器とは、その時々の器ではあるが、
 その人が一歩進めばその分だけ
 大きくなるものである
        

 生きるとは
 生きるとは
 日々を至誠をもって生きることである。

              1990.8.1



仁とは何か、
netで調べるとどうでしょうか。
中国思想の「五常の徳」のひとつであり、
孔子の中心的な倫理でしょうか。

孔子は「仁」を大切にしました。
真に孔子の思想を説くものに「仁」の無い人は
いない、そういうことであると思います。

孔子はこの世に生をもった時代の現象と共に
宇宙の成り立ち、宇宙に張り巡らされた法を
その身で感じ取っていました。
そういう者は神の厳しさだけではなく、
神の愛が何であるか感じ取ることも
できるのです。

神の愛を感じる者にとって、
「仁」は神の愛であり、「仁」を大切にし
体現するものは神の愛を体現しようとする者、
そういうことになります。

いや、自分はそうはなれないだろうと
いうことではなく、
自らの「器」というものは、
大きくしたいと思い努力をすれば、
それに応じて大きくしていくことができます。

しかし、その為しなくてはならないことは
日々、至誠に生きるということが大事な
人として生きる道であるということです。

孔子の思想を重んじる方は
この世的な価値観からいったん自らを
切り離して自らの生きる道を
整えるということが大切であると思います。






人気ブログランキングへ














  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日記のはじまり 糸ぐるま

2015-01-04 00:23:00 | 日記

 *日記です*

今、身近にある私の日記のはじまりは

「からからまわる糸車、
 因縁因果、善因善果、悪因悪果」
          1990.7.8

というものからはじまります。


この世を創った神がおられ、この世には
神の法があり、因果の理法があると
私が悟ったしばらく後からのものです。
悟ったときの日記は現在不明です。

因果の理法を悟ると共に
もうひとつ悟ったことがあります。

それを表わしているのが
「人は苦しむために生まれてくるのではなく、
 向上する為に(または救いから向上へ)
 生まれてくるのです」
        1990.7.18


ついでにこのblogの始めのころに書いた
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」についての内容を
書いてみたいと思います。
私が芥川龍之介の本を読んで夢中になったのは
小学校高学年くらいの頃でした。
それ以降は読んだことはありません。

1990.7.25
「蜘蛛の糸より
 どんな罪人にも慈悲の心がある。
 それにより人間は神仏に救われ得ること。

 しかしまた自分ひとりだけ良い目に遭おうと
 するエゴイズムが結局は他の人々を
 救われないものとすると共に自分をも
 破滅させる。
 
 カンダタの心には個我の心があった。
 彼は向上し正義の道へ入ろうとする
 真面目な願いの奇跡的な力を知らなかった。

 それは蜘蛛の糸のように細いけれど、
 数百万の人々を運ぶことができる。
 そしてその糸をよじ登る人が多ければ多い程、
 その人の努力は楽になる。

 しかしその過程でいったん人間の心に
 「これは私の物だ、正しさの幸福を
  独り占めしてこれは誰にもやるまい」と
  いう心が起こるや否や、糸は切れて人は
  元の個別の状態に堕ちてしまう。
 利己主義は呪いであり、真理は祝福である。

 地獄とは利己心(エゴイズム)の心に
 他ならない。




 
 今日この話をなぜ書きたかったかというより
 本日ここに記事を書きたかった内容は、
 あっと若い頃に私に不倫の噂があったのは
 このblogに書いているレイプ事件と同一です。
 彼は全てを私のせいにすりかえました。







人気ブログランキングへ








  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本と世界の祈りの年

2015-01-03 22:53:00 | みろく神示

2015年、新年の言葉です。

伊勢神宮、天照大御神からではありません。
Master of Masterからです。

「日本と世界の祈りの年」
This year is " Prayer of Japan and the world ".








人気ブログランキングへ








  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2015.1.2 伊勢へ

2015-01-03 22:43:00 | 日記

*日記です*

diaryに書いたとおり、新年は
伊勢に行きました。
いつも強行軍を組んで行きますので
かなり心身の負担が大きいのですが、
今回は雪で時間がかかりました。


参拝の順番としていつも外宮から参ります。
鳥居を入る前に一礼して境内に入ると
そこから別世界に入っていきます。

外宮 2015.1.2 p.m.





内宮 2015.1.2 p.m.





五十鈴川橋 2015.1.2 p.m.15.25
この写メは掲載を別ページにしようと
思いましたが、同じ境内なので
このページの最後に載せることにしました。









人気ブログランキングへ









  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする