幸福の芽 happy sprout みろく maitri Ⅱ

《心の時代へのパラダイムシフト》自分の心をつかんで幸せになりませんか。幸福の芽を探して一歩前に出てみませんか。

神の厳しさと寛容さ

2015-03-30 01:33:00 | みろく神示

神は厳しいか、それとも神は寛容かと
考えることもあるでしょう。

神は厳しさも寛容さもどちらも
お持ちです。

このblogにも書いてきている因果の理法、
これは厳しいものだと思われるでしょうか。
そうではありません。
深く考えると神の愛であると解ります。

また人も植物も動物も様々です。
神は厳しいでしょうか。
多様性を良しとしています。
暖かい眼差しで見つめておられるでしょう。


神は私をもって何を表現されているか、
神は厳しい面をお持ちですが、
神はまた非常に寛容な方でもあります。

神のもとで身を正し、正義を愛し、
真摯に生きるものにとって
私をもってたくさんの許しと
私をもってたくさんのdetox(解毒作用)を
現されるでしょう。







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"World Conference on Disaster Reduction" 2015.3.19

2015-03-20 23:13:00 | 社会
※3/22追加

World Conference on Disaster Reduction


国連防災世界会議の新たな指針
災害のリスクを減らすとともに、災害が起きても
社会や経済が素早く回復できる「強じん性」を
高めることを目指した優先行動4点
1.災害のリスクを理解すること
2.政府や地方自治体の災害への対応能力を強める
3.事前の防災対策を強化すること
4.復興に向けては災害の強いまちや社会を目指す
 「よりよい復興」を進めること

採択が大幅に遅れ、夜間に及んだようです。


これまでblogを書いてきた私、maitriの意見です。
前提としてここ数年間でも多くの災害が
起きているように今後も災害が起きることを
防ぐことは困難でしょう。

神の怒りか?
1.地球規模の変化として起きる可能性が大きい。
2.地殻変動がみられる時期にある。
3.原因結果の法則は厳然とあり、そこに神の姿が
 現れることがある。

対策として
1.今後も災害が起き易いと捉える必要がある。
2.活断層は地球レベルまであげて大きく捉える。
 (私からみると地球は生き物です。地球を
  一つの体、意職体として捉えています。)
3.信仰と祈りが大切です
 大いなる神への畏敬の念、畏怖の思いを
 持たなくてはなりません。


私は時々自然の中に自分が溶け込む瞑想を
します。時には地球に寄り添う瞑想も
します。既に20年くらいでしょうか。
昨年は磁場ゼロ地点に行き、瞑想を
していました。自分の意識を地球の中心に
向かって深く下ろしていく瞑想です。
そこで何があったかは書くことができませんが
そのように自然や地球も私たちと別のものでは
無いという視点も大事です。

例えば地震が起きたとします。
大地も泣いています。その場の磁場が歪み、
空間も歪み苦しみの様相を現します。
神も地球も悲しみの中にいます。
別のものではありません。

根本神仏の意識がどこにあるか、
遥かな根本神仏は言われませんが、
一人ひとりの一度の転生として捉えるという
神仏からみたら短い期間ではなく、
もっともっと大きく長い育成の目で
一人ひとりの魂をみておられると思います。



※追加
3/22朝外出し、大自然に心を寄せていたところ、
先日このblogに神の悲しみ、大自然の悲しみを
書きましたが大自然は私に大地の怒りを
現しました。
悲しみであり、怒りです。
人間は大自然を人と別の物とし、その恵みに
感謝すること少なく、それ以上に驕り
破壊してきた、そういうことであると思います。







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カルト宗教のカルトたる所以

2015-03-20 21:13:00 | 社会
※22:53追加

宗教で教えはすばらしいと思う、
または感じるというものは
あると思います。

カルトのカルトたる所以は、
その宗教で教祖により説かれた法が
実現しないことに対し、
帳尻を合わせるが如く、
その現象を自ら引きつけようとしたり、
社会に起きた事象に因果関係を
つけたり、
または現象を引き起こそうしたり、
最悪には
実現しない因果関係を自ら説き、
それを実現するところにあります。



※追加

Master of Masterより
「正法と言えど同じことが言える。
 初め、正法が説かれても
 後にその正法が曲がって
 いってしまう、
 そういうことがあるのだ。」







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It's one idea of "World Conference on Disaster Reduction"

2015-03-14 21:53:00 | 社会

It's one idea.

Global sharing of the findings
from the Past Great Earthquake Disasters in Japan

日本の大震災から世界各国の防災について、
大震災をあえて仮定に置き換えて
30の専門分野からの提言を各国が当てはまる項目から
該当する専門分野に絞り込む為のものです。









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考 The winning strategy 2012

2015-03-13 00:03:00 | 社会

2012.9.13に
The winning stategy 2012を書きました。
その名は「必勝の戦略2012」です。

2012.9.17のblogに記載していますが
何に勝つものか、
それは平和な世界を勝ち取るというものです。
それは世界が自由と繁栄に向かうものであり、
共に生きるというものであると、
そうChinaに向けて書きました。
Russiaについては先日書いたように、
多くの邪魔が入り、必要な時にblogを
書くことができず、時が過ぎてしまいました。

今、世界は激流の中にいます。

必勝戦略2012から現在の政府のabenomicsを
見ると枠組みや政策が似ています。
違いが幾つかあります。
必勝戦略2012はその思想をblogに書いた時には
丸い調和のイメージがありました。
私自身はその視点から外れていません。
現在のabenomicsを見ると
かなりのover runです。
また経済政策の違いがあります。
私が見ている調和の必勝戦略2012から
かなりのriskmanagmentが必要になります。







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幸福の科学と現在の私について

2015-03-08 14:33:00 | みろく神示
※3/3、3/4のdiaryに記載したものです。
※3/8追加しました。

幸福の科学にとって私は脅威か。

彼らは私を無視して篭ったワールドを
築いていたほうが
お互い傷つかなくて良いと思います。

私が居なかったら、自分たちは指導で通った。
それは無いでしょう。
私が居なかったら一回目の選挙で
終わっていたはずです。

教団を立て直す、
今更、それも無いでしょう。

自分たちがダメだから私が居る、
それも無いでしょう。
元々の約束だったからです。

私は神が其処にある時に其処にいました。

私は神が其処を去る時に其処を去りました。

其処とは幸福の科学です。

神と共に在るということがどれほどに大切で
どれほどの価値あることか。

日々、様々な選択の中で神を
選び続けるということが
どういうことであるかということです。



では幸福の科学の教祖と教団の役目は何か。

もし、最初の神との契約をそのまま果たして
いたならば
・誠と父と妻と共に謙虚にそれぞれの役割を
 果たし、教団を運営してたら、それぞれが
 生かされた。
・法の継承が曲がることなく、伝えられた。
・後から現れる私を受け入れ、曲げられずに
 継承された法を私が社会に生かし、
 前代未聞の社会が現れた。

それがどうして変わってしまったか。
それ以前に戻ってみると解ります。

・神を蔑ろにし、自分が一番偉いとした教祖、
 教団から神が離れ、神の啓示がいっさい
 降りない。宗教として発展しない。
    ↑
 神に畏敬の念を持ち続け、謙虚に学び、
 祈っていたならばこうはならなかった。
 大いなる神に畏敬の念を持ち、教団を
 運営していたなら発展していた。


・家庭が崩壊し、神の認める信仰生活が
 送れないので他者からの信仰が立たない。
    ↑
 離婚もせず、夫婦で共に神が認めるような
 信仰生活を送っていたならば
 こうはならなかった。
 ちなみに私のポジションはご夫婦とは全く
 別の存在として与えられるべきものだった。


・我々は神に祈り、神により運営してきたが
 おかしくなってしまったと思っているが、
 一人ひとりが奢り高ぶる余り、神より
 偉くなっている事に気付いていない。
 (特に側近)
    ↑
 教団も教祖も常に謙虚であり、神と共に
 あろうとすれば、悪魔、悪霊に騙されず
 発展していた。
 

※ちなみに教祖と書いていますが
 私の教祖ではありません。

以上簡単ですが、書いてみました。
これだけの理由があったら、あなた方の存在は
神にとって不要でしょう。
つまり本来の役目から自分、自分達が偉いとして
行動してきた為、既に果すべき役割が無くなった
ということでしょう。

一言で言えば神を蔑ろにした為に起きたことです。

ですから、目先のことに目を奪われず、私に構わず、
まず信仰を正し、己を正し、信仰生活を
正すべきです。

その上で神が許されるならば、神は答えるでしょう。
しかし、それにはたくさんのことを詫び、
曲がってしまった法を修正しなくてはなりません。
    ↑
今更私は関与したくありません。
上記のことが明らかになって以降、私の役割は
幸福の科学と関係無いものとなりました。


特記します。
誠以外に、大川教祖にも時として神が法を
降ろしたことがあります。
たぶん本人は容易く法を降ろしてもらうことに慣れ、
神を上に置かず自分を上に置いて自ら主従の逆転を
起こしたことを忘れてしまったのでしょう。
それで全てを失いました。
法がいっさい降りないのはその為です。


※3/8追加
全ては信仰の下に信仰の下で展開していきます。
言葉や文章がきれいにまとまったところで
そこに神への信無くば、ただの言葉の羅列に
過ぎないとも言えると思いますが。
新たなことを言うものがあっても
そこに信無くば、それもただの分析になります。

幸福の科学の総合本部や王宮に行きたくない、
関係したくないというのは
早くからの私の願いでした。 
私はいつもそう祈っていました
つまり、必ず死闘となるということです。







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