池やん!まいど!おおきに!ごきげんどぅ!

仕事・今までの人生
このごろ悩みが多くて困ります。
周りの多くの人に救われているのを
実感する今日この頃。

門司港 その②

2011年12月18日 | 旅先の事
門司港駅到着前の列車の車窓から進行方向左側に座っていた私は、
古い客車と機関車の展示施設があるのを目ざとく見つけていて
早速、その施設へ足を運ぶ事にした。
九州鉄道記念館 明治24年、九州鉄道の起点が誕生した。
その歴史を展示公開している記念館である。
赤レンガ造りの展示館は九州鉄道会社の本社屋がそのまま使われていて
鉄道院~鉄道省~日本国有鉄道~JR九州へと受け継がれたが、
永きに渡り九州の鉄道の中枢を担ってきた建物でありその美しさは
直線を基調とした美しいものである。



ディーゼル好きの私は興味を持ったのが下記の写真のキハ07 
昭和12年製造(日本車輌)の車両である。



運転席にはシフトレバーが突出しているし、
足元にはクラッチペダルとアクセルペダルがあるのも驚きである。
トルクコンバーターが開発される前の気動客車はギヤシフトチェンジを
必要としていたようだ。即ちマニュアルトランスミッション。ATではない。



すごく美人の入り口受付のお嬢さんと会話を交わせたことも喜びの一つであったが、
あまりにも美人だったので例によって笑顔を頂戴してカメラに収めたい旨を
言いそびれてしまった。照れてしまう自分が格好悪い。
で、
一通り館内を見学して門司の港町を漂流することにした。
昭和30年代~50年代前半の香りを漂わせている街は、
発見と驚きの物象にあふれていて飽きる事は無い。

栄町銀店街。
昔ながらの商店街アーケードをふらふらと歩く。
閉店なのか?休業なのか?廃業したのか?全く分からない食堂の看板に注目してしまった。
なんと、その名も《平民食堂》
いかにも大衆向けの名前で安い定食がメニュー(ここではたぶんお品書き)に有りそうだ。



すごい名前の店を発見した。
《立花流麺打ち研究会》私は入る勇気がなかった。うどんは好物なのであるが、
この研究会というアカデミックな名前に気がまいってしまった。
又、店前は八百屋さんなのであろうか?



強烈な地域地図を発見!!!
全く分から無い地図だが時計屋さんであることは分かる。



せっかく、門司港まで来ていながらにして、昼食はJOYFUL(ファミレス)に入る。
先に訪れた、鉄道記念館の美人のお嬢さんは、
名物焼きカレーをお奨めいただいたのであるが、どんな風なものと聞けば、
「ドライカレーみたいなものです。」との事であった。
ドライカレーみたいなものという事は、どのようにアレンジしてもドライカレーでは?
という観念に脳内が支配されて、結局はファミレスで昼食をとる。

そのファミレスのお兄さんからお奨めと聞いたのが、下記の写真にある抹茶大福である。
《なごしの星野村石挽抹茶生大福》
福岡八女の星野村の抹茶をたっぷり使用した抹茶クリームを
丹波大納言を炊いた粒あんで包み、それを柔らかい羽二重餅でもう一層包んで、
たっぷりと抹茶を振りかけていた。
美味い!甘味がしつこくなく上品である



その名も大連通りという波止場に出て、関門海峡を行きかう船と関門橋を見ながら、
小雨をかぶりながらも美味しくいただく。
少し体が冷えたので、又歩き出す事にした。


で、
バナナの叩き売り発祥の地。
実際に輸入されていて昔は相当量のバナナがこの門司港へ荷揚げされていたらしい。
この界隈には多くのバナナの屋台が並んだという。
だから叩き売り発祥の地である。



少しビビッてしまった。
その名も《無法松》である。
私は覗く勇気がなかった。
ガテン系の衣料品や装束を取り扱う店である。
ワークマンの九州版。特に小倉版とでも言えるかもしれない。



門司港一の強烈な主張である。
そういえば寂れた飲み屋街の出口付近に有り、
そっち系の人たちの集う事務所も有った地域の外れに有った。
写真を撮っていると店内からの鋭いまなざしを感じた。
早々に退散である。
しかし店主らしき人はパンチパーマではない。



で時間も時間となり、バスの時間まではだいぶと早いが小倉駅へと向かう事にした。

かえり船 田端義夫.


そんなこんなの門司港での徘徊は書きつくせない程のサプライズの連発である。
しかし、歴史的に観光地として整備が進んでいるものの、そこを訪れる人影は
以前ブームであったときに比べればたいそう減ったとも聞いた。
ブーム時は韓国中国人観光客が大挙して訪れたと聞く。
彼ら大陸の人々にとっても、日本帝国が大陸進出の為に繁栄した港町の遺構を
見てどのように感じたのであろうか?
先の大戦時のように喚起の声と歓送の音楽で勇ましく出港して行く船の姿は
当然、見受けられないし、又、その負の面影すら遠く忘却の彼方にあるようである。
せめて、生き残りこの門司港にかろうじてたどり着いた先人の苦労と心を慰めようと
現在の平和を教授している私は
今回は《かえり舟 田端義夫》をチョイスした。