池やん!まいど!おおきに!ごきげんどぅ!

仕事・今までの人生
このごろ悩みが多くて困ります。
周りの多くの人に救われているのを
実感する今日この頃。

火の国から (帰り道で涙する。)

2012年04月02日 | 愛する人
阿蘇道の駅で少しの渋滞を避けるための時間調整をした。
で、午後7時の出発で門司を目指すが、国道57号を熊本まで戻るのではなく
国道212号で日田を目指し、国道211号飯塚を目指そうと計画していたが国道211号のどこかで
その国道211号から逸れてしまい名も知らない駅に出た《JR彦山駅》。
でも、北九州という道路標識に従い県道であろうかそれをトレースして北上する。
結果、国道322号に出て田川を経てすばやく門司に到着。

で、

関門トンネル入り口左側のお定まりのファミレス・ジョイフルで遅めの夕食。
すぐにスタートするがライトが暗い、左のロービームが球切れ。
かまわず、国道2号を東へ向かうが小郡手前で眠気に襲われギブアップ。
仮眠するつもりが朝8時半までで熟睡。

計画通りに帰りは国道9号線で京都を目指す事にした。



津和野の手前での京都までの距離表示である。
540キロメートル。
走り続けると14時間。ごっつ遠い。



しかしながら、左に日本海を見ながらの帰路は最高である。
でも、夜は走りたくない道。この景色が見えないうえに轍(わだち)の深さと
急に現れる段差に気を許せない道でもあり
なんせ人気(ひとけ)や人家が少ない。



手足を伸ばしたく待避所に車を停めて軽く膝腰のストレッチをした。
ぱきぱきと気持ちが良く同じ姿勢でいる運転席からの開放感浸り
久々にタバコに火をつけた。
相変わらずに昨日からの風は強く波も高いがとび来る砂と
少しの飛沫がこれまた新鮮に感じる。



なぜか記憶に有る大山口の駅。
早々と思い立ち寄ってみた。
この事は又後日に記す事にしよう。

長渕剛 名曲!12色のクレパス(Tsuyoshi Nagabuchi)


ドライブ中は私の場合当然運転に集中しているが、朧に脳内の別の場所で思考回路が
動いていてその思考が集中し結実する事ではなく、ただ廻りに集まり存在しているだけの時が多い。
この脳内の思考しているかしていないかが自身で分からない状態の裏返しが、
偶に新しい感動や悲観から一喜一憂している時が有る。
子供の頃から泣き虫であった私は、すべてのことに感情移入をしてしまう癖が有るようで
感情の起伏の高低差が激しいように自身で感じていてはいるので有るが・・・・・。

今回の国道9号線は・・・・・・・。

京都に続く国道にその通う人々や物資を運ぶ人たちの感情に同化してしまい
また、昨日の阿蘇での出来事を振り返り自然に涙がこぼれてしまった。

何の理由も無いのに涙する。悲しくも楽しくも怒りすらないのに
何の訳も無いのに感情が高ぶって涙する。

自身が所有する真理に対する考えと周りの不条理を容認せざるを得ない不条理と
自身が持っている薄っぺらな優しさが真理の形ではなく不条理であった事に気付くと
たまらなく淋しさが込み上げてくるのが常である。

そんな年齢になったのであろうか?

火の国で  (阿蘇に感動する。)

2012年04月02日 | 愛する人
少しの徘徊の時間を得て満足できた私はお勧めもあり、阿蘇カルデラが一望できる
《大観峰》へ向かう事にした。

絶景に感動する。
併せてそんな絶景に絶句。



風がたいそうきつい中、絶句して展望していると後ろから、
「涅槃像ってごぞんじですか?」

「お釈迦様の横たわる姿に見えませんか?」

「頭と耳がギザギザで、肩があの斜面・・・・。」との問いかけに答えて私・・・・・・・

「お釈迦様はどこでねはんねやろ?」

関西人爆発である。

「オヤジギャグと言うやつですか?」と素で返答されてしまった。





この思い出にはことさら強烈な印象が残るほどの強風の中、その風景に長く見とれていた。
目に入るその風景は強い風をも気にしないで漫然と眺めていると前方後方を含めた四方周りの
美しい山岳の曲線は火山地帯の中に立っていながらにしても
モーツアルトのクラリネット協奏曲のような柔らかい旋律を脳内響かせてくれる。
坂本冬実さんの《火の国の女》ではない。

Mozart Clarinet Concerto, Karl Leister - II. Adagio


途中、美味しいと評判のケーキ屋さんで久々のケーキらしいケーキを食す。
最近ではファミレスの冷凍ものしか食べた記憶が無く、
その食感が独特で新鮮で美味しい。





ここも次回は必ず訪れなければいけない。


火の国へ (往復1750kmの長距離ドライブ)

2012年04月02日 | 愛する人
全国をこのブログでも記しているが旅をする私にとって、
人生最大の区切りとしての終了の旅をどこにするかを考えていた。
その決断をさせた一つの些細な機会があって熊本は阿蘇に旅立つ事にした。
今後の私の生きていくうえでも疲れた体でありながらもその方と会わなければいけないという
直感もその時働いていたのは事実な事である。

で、

京都を29日の午後4時にスタートした。
愛車の青フィアットのハンドルと共に長い片道800km。
国道2号線をひた走り山陽道備前ICから鴨方ICまで。
以前笑顔の素敵な店員さんの居る丸亀製麺の釜揚げうどんを先ずは目指す。
で到着。
覚えていてくれて感激する。
温まった体を狭い車内にもぐりこませて又国道を西へ向かうが眠気が襲うので
ままよと東広島を越えて志和ICから又山陽道を使用するが・・・・・・。
限界!宮島SAで仮眠を取る。
外は冷たくきつい雨。
寒さで目が覚めたら午前6時前。すぐにスタート!雨の中をこれでもかという
捕まるぞ的な速度ですっ飛ばしてみた。
で、前日に燃料満タンから670キロメートル目を待たずして燃料残量が少なくなり
警告等を灯した。
仕方なく小月ICで山陽道と別れて長府で給油。
12km/L!なかなか飛ばしてきた割には燃費が伸びている。

関門橋を経由すると高速道の使用料金が割高になるのでここからは国道2号線で
関門トンネルを経由した。
で、
この時点で阿蘇神社の待ち合わせの午前10時には間に合いそうに無い。
九州道に門司ICから上がり、熊本ICを目指す。
だが、古賀SAで事故渋滞。
ピクリとも動かない車列。
現場に到達してみると、大型車が本線とサービスエリヤを分かつ分離帯と
入線路表示の標識等をなぎ倒して刺さっている。
当然キャビンはぐちゃぐちゃ。
居眠りか?
そこからは記す事のできないスピードで走る。阿蘇IC到着が午前10時前。
国道57号線は流れもスムーズで瞬く間に、阿蘇外輪山を蹴破る峠坂道を
一気に登り阿蘇のカルデラの中に到着した。
待ち合わせの方に連絡を取っていたので安心して遅れる事を了解する返事に安堵し、
先ずは風呂に入りたいと思いだしていた。

第一村牛・発見!!!!!!!!



驚きで有るが、湧き水のこんな形がである。
いたるところで噴出していては、このように自由に汲める様になっている。
触ろうと思ったが怖いぐらいの勢いで噴出していて
少し近寄りがたい水の力も感じていた。



湧き出る量はすごいの一言である。
決してポンプで汲み上げているようではない。水が自噴しているので有る。
それがいたるところに有る。畑の中であったりはたまた道端であったり、
村落の集会所脇に有ったりもする。
そして気づいた事がもう一つ。
火除けの神様を奉る所が多く有る。これは火山被害の昔人の願いの場所。



内牧温泉と言う標識に従いその道を行くと温泉街に到着したので有るが・・・・・・。
外湯が見当たらない。
そこかしことぐるぐると回っていると、《薬師温泉》と言う公衆浴場を発見する。
すかさず入場。番台も無く扉を開けると即脱衣所。
その扉をあける脇の窓越しに¥200を払い入場する。
気合が入るぐらいにほほを殴る春の嵐風である。
湯はぬるめ。少し不満。しかしカケ流し。とうとうと流れ出ている。
そのぬるめのお湯は長時入っていると段々と熱さを感じるようになってきた。
不思議だ。
風がきついが良く晴れている。その風も少し疲れた体と温まった体には心地が良い。




内村温泉・薬師温泉ですっかり疲れを落とせたと感じる。
阿蘇神社に向かう。予定より1時間30分遅れでの到着となった。
ソワソワして落ち着きを無くしてしまった事に加えて
阿蘇神社の写真を忘れてしまい、今ではその感想や風景すらも脳内のどこかで
消し去ってしまったようだ。
その後、食事(阿蘇赤牛の料理)をしたのであるが・・・・・・・・。
美味しいと言う味覚は残っているがその表現を書けという事になると
その記憶は曖昧である。



何の特徴も無い風景であるがその広々感は国道57号泉から少しわき道に逸れると
この阿蘇ではいたる所がこの光景のような気がする。
カーブミラーとその先に広がる田畑と草原。
そのカーブミラーもこう見てみるとどこか風情が有るように思うのだが
いかがなものであろうか?
黒に白縞の小鳥のツガイが戯れ、近く離れずに居るのが微笑ましい。



浦部雅美 - ふるさとは春です


この地域は昔は街道の宿場町であったと説明を受けた。
肥後の殿様が江戸へ上る時はこの街道を使用したそうである。
上画像に有る様の今では見かけなくなった地元の食料品店があったりもする。
私はこのような風景や街並みに触れる事がひじょうに癒しになる。
子供の頃、大阪の街中で育った私は西区立売堀の日生市場に母や親戚の叔母ちゃんに
良く連れられて行った。
その光景がよみがえる。
スーパーのような形式ではなく全てが対面店舗販売の市場。
コロッケ一つを買ってもらえた満足が今でも忘れられない。
その思い出とこの街はシンクロする。