阿蘇道の駅で少しの渋滞を避けるための時間調整をした。
で、午後7時の出発で門司を目指すが、国道57号を熊本まで戻るのではなく
国道212号で日田を目指し、国道211号飯塚を目指そうと計画していたが国道211号のどこかで
その国道211号から逸れてしまい名も知らない駅に出た《JR彦山駅》。
でも、北九州という道路標識に従い県道であろうかそれをトレースして北上する。
結果、国道322号に出て田川を経てすばやく門司に到着。
で、
関門トンネル入り口左側のお定まりのファミレス・ジョイフルで遅めの夕食。
すぐにスタートするがライトが暗い、左のロービームが球切れ。
かまわず、国道2号を東へ向かうが小郡手前で眠気に襲われギブアップ。
仮眠するつもりが朝8時半までで熟睡。
計画通りに帰りは国道9号線で京都を目指す事にした。
津和野の手前での京都までの距離表示である。
540キロメートル。
走り続けると14時間。ごっつ遠い。
しかしながら、左に日本海を見ながらの帰路は最高である。
でも、夜は走りたくない道。この景色が見えないうえに轍(わだち)の深さと
急に現れる段差に気を許せない道でもあり
なんせ人気(ひとけ)や人家が少ない。
手足を伸ばしたく待避所に車を停めて軽く膝腰のストレッチをした。
ぱきぱきと気持ちが良く同じ姿勢でいる運転席からの開放感浸り
久々にタバコに火をつけた。
相変わらずに昨日からの風は強く波も高いがとび来る砂と
少しの飛沫がこれまた新鮮に感じる。
なぜか記憶に有る大山口の駅。
早々と思い立ち寄ってみた。
この事は又後日に記す事にしよう。
長渕剛 名曲!12色のクレパス(Tsuyoshi Nagabuchi)
ドライブ中は私の場合当然運転に集中しているが、朧に脳内の別の場所で思考回路が
動いていてその思考が集中し結実する事ではなく、ただ廻りに集まり存在しているだけの時が多い。
この脳内の思考しているかしていないかが自身で分からない状態の裏返しが、
偶に新しい感動や悲観から一喜一憂している時が有る。
子供の頃から泣き虫であった私は、すべてのことに感情移入をしてしまう癖が有るようで
感情の起伏の高低差が激しいように自身で感じていてはいるので有るが・・・・・。
今回の国道9号線は・・・・・・・。
京都に続く国道にその通う人々や物資を運ぶ人たちの感情に同化してしまい
また、昨日の阿蘇での出来事を振り返り自然に涙がこぼれてしまった。
何の理由も無いのに涙する。悲しくも楽しくも怒りすらないのに
何の訳も無いのに感情が高ぶって涙する。
自身が所有する真理に対する考えと周りの不条理を容認せざるを得ない不条理と
自身が持っている薄っぺらな優しさが真理の形ではなく不条理であった事に気付くと
たまらなく淋しさが込み上げてくるのが常である。
そんな年齢になったのであろうか?
で、午後7時の出発で門司を目指すが、国道57号を熊本まで戻るのではなく
国道212号で日田を目指し、国道211号飯塚を目指そうと計画していたが国道211号のどこかで
その国道211号から逸れてしまい名も知らない駅に出た《JR彦山駅》。
でも、北九州という道路標識に従い県道であろうかそれをトレースして北上する。
結果、国道322号に出て田川を経てすばやく門司に到着。
で、
関門トンネル入り口左側のお定まりのファミレス・ジョイフルで遅めの夕食。
すぐにスタートするがライトが暗い、左のロービームが球切れ。
かまわず、国道2号を東へ向かうが小郡手前で眠気に襲われギブアップ。
仮眠するつもりが朝8時半までで熟睡。
計画通りに帰りは国道9号線で京都を目指す事にした。
津和野の手前での京都までの距離表示である。
540キロメートル。
走り続けると14時間。ごっつ遠い。
しかしながら、左に日本海を見ながらの帰路は最高である。
でも、夜は走りたくない道。この景色が見えないうえに轍(わだち)の深さと
急に現れる段差に気を許せない道でもあり
なんせ人気(ひとけ)や人家が少ない。
手足を伸ばしたく待避所に車を停めて軽く膝腰のストレッチをした。
ぱきぱきと気持ちが良く同じ姿勢でいる運転席からの開放感浸り
久々にタバコに火をつけた。
相変わらずに昨日からの風は強く波も高いがとび来る砂と
少しの飛沫がこれまた新鮮に感じる。
なぜか記憶に有る大山口の駅。
早々と思い立ち寄ってみた。
この事は又後日に記す事にしよう。
長渕剛 名曲!12色のクレパス(Tsuyoshi Nagabuchi)
ドライブ中は私の場合当然運転に集中しているが、朧に脳内の別の場所で思考回路が
動いていてその思考が集中し結実する事ではなく、ただ廻りに集まり存在しているだけの時が多い。
この脳内の思考しているかしていないかが自身で分からない状態の裏返しが、
偶に新しい感動や悲観から一喜一憂している時が有る。
子供の頃から泣き虫であった私は、すべてのことに感情移入をしてしまう癖が有るようで
感情の起伏の高低差が激しいように自身で感じていてはいるので有るが・・・・・。
今回の国道9号線は・・・・・・・。
京都に続く国道にその通う人々や物資を運ぶ人たちの感情に同化してしまい
また、昨日の阿蘇での出来事を振り返り自然に涙がこぼれてしまった。
何の理由も無いのに涙する。悲しくも楽しくも怒りすらないのに
何の訳も無いのに感情が高ぶって涙する。
自身が所有する真理に対する考えと周りの不条理を容認せざるを得ない不条理と
自身が持っている薄っぺらな優しさが真理の形ではなく不条理であった事に気付くと
たまらなく淋しさが込み上げてくるのが常である。
そんな年齢になったのであろうか?