午前中は薄曇であったが、昼前になってポツポツと雨が来ては
又帰る状態の昼過ぎであった。
で、
仕事をそこそこにして、大変にお世話になっているKGY女史の
左京区大原の畑を訪問する事にした。
目的は先日いただいたホンダ製農機のスペアパーツの引き取り。
ご主人も畑にて元気で農作業をしておられて、訪問時には木陰で食事中であった。
少し驚いたので有るが、濃い茶色のトイプードルが2匹同行で畑に居て
のびのびと遊んでいたり、農作業する上で迷惑この上ない野生的行動を繰り返していた。
必ず、飼い主の見えるところに居るのは犬の習性であろうか?
その食事の内容で少し大爆笑が有るので記すことにする。
女史が缶のリングプルを開けて少しを犬に分け与えた。
肉の缶詰のようでありその高さの無い薄い缶はどう見てもドックフード。
そのドックフード様の物を女史はリーフレタスに包んで自身の口へ・・・・・。
超ョ~~驚く私!!!!
《ドックフード食べてるん?》問うと、・・・・・・・・。
なんと輸入コンビーフであった。
私はてっきりドックフードを食べていると思ってしまっていた。
女史の今までの行動はそれを食べてもおかしくない行動が目立つ事が多い。
以前、レビューに同行した時もである。
その帰りに靴を脱いで食事をする所に行ったので有るが、
靴下を片方だけ履いていなかった。どこかで脱ぎ忘れたらしい。
別の方に聞くところによると海外旅行で出発の際にパスポートの準備ができていなくて
荷物を開け散らかして探したりする事もあったようにも聞いた。
まったく構造の中心で子供の頃からの進化の無い方。
普通の方では少し敬遠の対象となる行動が多い女史である。
私は全く気にならないので今も楽しく親交が有る。
で、
少し時間が有るので久々に還暦ダンス氏といつものサイゼリアで熱く討論会。
今日はすごく深い話。
その話の要点から結論をそのときに出す事はなかったが、
私なりにその結論をまとめてみると下記の内容で落ち着く。
一つの結果はどうであれ事象を自身で企てて実行しようとすると
必ずや《算》が生ずるのは必然である。
その《算》の机上での結果が良くても悪くても先ずはその水面に石を投げ入れてみる。
当然、その石の落下した水面の周りには波が起きてその直径は均等に円を描いて広がる。
浮き草が揺れる。
この浮き草が揺れる事が人心であるとするなれば揺らした事が結果としてなら
成功したと言う事である。
物事の始業者として、その石を投げ入れずに、又、物事を企てる事だけに
夢を見る始業者風の方を多く見かける。
私は一笑するので有るが・・・・・・。
この方達の話を聞くのはたいへん疲れる。
まだ、なんら行動を行わないのに夢の話や理想を語るのである。
とある方は、子息に店を与えようとご苦労されているのを目にしているが、
はっきり申し上げてその子息に運営の資質は無い。
運営の資質の有るものは自身で行動を起こす。
又、
とある知人の同居人は、誇大に自己能力を良評価していて
人の事業の評価は散々に言うがなんら事業を企てていると言いながら
その準備の為に資格を取るとか、行動を起こすとかを聞いてはきたが・・・・・
語っている事はここ4年ほど経つが見てはしない。
即ち、石を投げ入れるだけの力を持っていないという事。
ましてやこの方々は、名誉や地位を重んじる傾向に有るようだ。
薄っぺらく直ぐにも剥がれ落ちるものだと気付いていないところが不幸である。
しかし、
その力を持ち合わせていても、恐ろしい勘違いは実力以上にあまりにも大きい石を
持ち上げてその水面に投げ入れる事。
すごく危険なのである。
自身に水しぶきがかかるし、又、浮き草も遠くに押し流されたり沈んだり
迷惑この上ない行動になりがちで有る。
私は幼稚な精神構造であった頃にこの経験をしている。
《肝心な事》を知る為には冷静沈着な真理を見極める力が必要に思う。
流行物にもその隠された部分にも理解を示す事や意図する事を見抜く力が必要であろう。
その為には、視覚的情報を無機質な物より発信者側から一方向的に受け入れるのではなく、
能動的にこちらから発見の為に行動し発見に至る喜びを得る方が
どれだけすばらしく感動的であろうか。
雄大な風景のテレビ画像は真実ではなく、
たとえ、
埃の街の雑居ビルのトイレの小窓から見える自身の目で見ていて感じる光景は
真実である。
幼稚とは《肝心な事》が理解できない事。
私以外にあまりにも世の中にこの輩が多すぎる。
私が疲労困憊する原因の一つでも有る。
もうひとつの土曜日 / 浜田省吾 【歌詞入り】
今日の話題に付随するかどうかは別にしてを以下の文面を付け加える。
遠い蒼空の下に私が人間的に発展的進化をする為に
このハマショーを聞いて欲しい人が居る。
私は、忘却という方法も進化する上で必要なツールで有る事も
多くの事から自然に学んでいた。
しかし、忘却ができない事も有り、いつまでも引きずる自分が反面に存在する。
誰しも有る事であろう。
発想のGENESISを出発点とするなれば、
過程のEVOLUTIONの最中においては
くれぐれも《肝心な事》と言う言葉を忘れて置き去りにしたく無いと
自身痛烈に幼稚であつた当時の事を思い出しては反省を伴い
今後に二度としてなるか!と思うのである。
幼稚でない為に一生涯《知りたいという欲求》を持ち続けていたい。
やはり私の修行は続くのだ!と確認をした。
私はこの頃、脳内を攪拌する話をしてしまう。
強風下の旗が風に激しく鳴り、
引きちぎれんばかりに目を閉じるとはためいている。
又帰る状態の昼過ぎであった。
で、
仕事をそこそこにして、大変にお世話になっているKGY女史の
左京区大原の畑を訪問する事にした。
目的は先日いただいたホンダ製農機のスペアパーツの引き取り。
ご主人も畑にて元気で農作業をしておられて、訪問時には木陰で食事中であった。
少し驚いたので有るが、濃い茶色のトイプードルが2匹同行で畑に居て
のびのびと遊んでいたり、農作業する上で迷惑この上ない野生的行動を繰り返していた。
必ず、飼い主の見えるところに居るのは犬の習性であろうか?
その食事の内容で少し大爆笑が有るので記すことにする。
女史が缶のリングプルを開けて少しを犬に分け与えた。
肉の缶詰のようでありその高さの無い薄い缶はどう見てもドックフード。
そのドックフード様の物を女史はリーフレタスに包んで自身の口へ・・・・・。
超ョ~~驚く私!!!!
《ドックフード食べてるん?》問うと、・・・・・・・・。
なんと輸入コンビーフであった。
私はてっきりドックフードを食べていると思ってしまっていた。
女史の今までの行動はそれを食べてもおかしくない行動が目立つ事が多い。
以前、レビューに同行した時もである。
その帰りに靴を脱いで食事をする所に行ったので有るが、
靴下を片方だけ履いていなかった。どこかで脱ぎ忘れたらしい。
別の方に聞くところによると海外旅行で出発の際にパスポートの準備ができていなくて
荷物を開け散らかして探したりする事もあったようにも聞いた。
まったく構造の中心で子供の頃からの進化の無い方。
普通の方では少し敬遠の対象となる行動が多い女史である。
私は全く気にならないので今も楽しく親交が有る。
で、
少し時間が有るので久々に還暦ダンス氏といつものサイゼリアで熱く討論会。
今日はすごく深い話。
その話の要点から結論をそのときに出す事はなかったが、
私なりにその結論をまとめてみると下記の内容で落ち着く。
一つの結果はどうであれ事象を自身で企てて実行しようとすると
必ずや《算》が生ずるのは必然である。
その《算》の机上での結果が良くても悪くても先ずはその水面に石を投げ入れてみる。
当然、その石の落下した水面の周りには波が起きてその直径は均等に円を描いて広がる。
浮き草が揺れる。
この浮き草が揺れる事が人心であるとするなれば揺らした事が結果としてなら
成功したと言う事である。
物事の始業者として、その石を投げ入れずに、又、物事を企てる事だけに
夢を見る始業者風の方を多く見かける。
私は一笑するので有るが・・・・・・。
この方達の話を聞くのはたいへん疲れる。
まだ、なんら行動を行わないのに夢の話や理想を語るのである。
とある方は、子息に店を与えようとご苦労されているのを目にしているが、
はっきり申し上げてその子息に運営の資質は無い。
運営の資質の有るものは自身で行動を起こす。
又、
とある知人の同居人は、誇大に自己能力を良評価していて
人の事業の評価は散々に言うがなんら事業を企てていると言いながら
その準備の為に資格を取るとか、行動を起こすとかを聞いてはきたが・・・・・
語っている事はここ4年ほど経つが見てはしない。
即ち、石を投げ入れるだけの力を持っていないという事。
ましてやこの方々は、名誉や地位を重んじる傾向に有るようだ。
薄っぺらく直ぐにも剥がれ落ちるものだと気付いていないところが不幸である。
しかし、
その力を持ち合わせていても、恐ろしい勘違いは実力以上にあまりにも大きい石を
持ち上げてその水面に投げ入れる事。
すごく危険なのである。
自身に水しぶきがかかるし、又、浮き草も遠くに押し流されたり沈んだり
迷惑この上ない行動になりがちで有る。
私は幼稚な精神構造であった頃にこの経験をしている。
《肝心な事》を知る為には冷静沈着な真理を見極める力が必要に思う。
流行物にもその隠された部分にも理解を示す事や意図する事を見抜く力が必要であろう。
その為には、視覚的情報を無機質な物より発信者側から一方向的に受け入れるのではなく、
能動的にこちらから発見の為に行動し発見に至る喜びを得る方が
どれだけすばらしく感動的であろうか。
雄大な風景のテレビ画像は真実ではなく、
たとえ、
埃の街の雑居ビルのトイレの小窓から見える自身の目で見ていて感じる光景は
真実である。
幼稚とは《肝心な事》が理解できない事。
私以外にあまりにも世の中にこの輩が多すぎる。
私が疲労困憊する原因の一つでも有る。
もうひとつの土曜日 / 浜田省吾 【歌詞入り】
今日の話題に付随するかどうかは別にしてを以下の文面を付け加える。
遠い蒼空の下に私が人間的に発展的進化をする為に
このハマショーを聞いて欲しい人が居る。
私は、忘却という方法も進化する上で必要なツールで有る事も
多くの事から自然に学んでいた。
しかし、忘却ができない事も有り、いつまでも引きずる自分が反面に存在する。
誰しも有る事であろう。
発想のGENESISを出発点とするなれば、
過程のEVOLUTIONの最中においては
くれぐれも《肝心な事》と言う言葉を忘れて置き去りにしたく無いと
自身痛烈に幼稚であつた当時の事を思い出しては反省を伴い
今後に二度としてなるか!と思うのである。
幼稚でない為に一生涯《知りたいという欲求》を持ち続けていたい。
やはり私の修行は続くのだ!と確認をした。
私はこの頃、脳内を攪拌する話をしてしまう。
強風下の旗が風に激しく鳴り、
引きちぎれんばかりに目を閉じるとはためいている。