池やん!まいど!おおきに!ごきげんどぅ!

仕事・今までの人生
このごろ悩みが多くて困ります。
周りの多くの人に救われているのを
実感する今日この頃。

克服には《慣れ》が有効で、敵対関係で同じ《慣れ》を持つ事・・・。

2012年05月22日 | 好きな日常
最近、何年ぶりかで超しんどい仕事をこなしてみた。
広い畑でひたすら有機発酵堆肥を撒く作業である。
手押し一輪車に有機発酵堆肥をスコップですくい山積みにして、
不整地の畑の中をひたすら押して歩き、
畑の隅から順に満遍なく畑の全面に撒く作業だ。



で、撒き終えまで、約4時間。休む事無く単純な力仕事を重ねていく。

作業スタートの最初期は息切れするぐらいすごく辛くしんどいが
何度か、ハァハァ・ゼイゼイを繰り返していると、
不思議なものでその苦しさが《スゥ~~~ッ》と清涼感を伴い消えてしまい、
ただ、単純な作業に黙々と集中していると周りの音も聞こえない静寂の中で、
体が動くのが不思議だなぁ~と、
終わってから自己満足の充実感に酔いしれ、
ごくごくと飲み干す阿波番茶の食道を通る心地良さに幸せを感じていたりもした。

その有機堆肥を撒き終えた翌日の早朝5時頃から、
発酵鶏糞の15kg入の肥料袋を40本を1本ずつ肩に担ぎ不整地の畑の中を歩き、
隅から順番に満遍なく撒いてみた。
で、
撒き終えるまでに2時間。
撒き終えた状態が下記画像。



「阿蘇は曇りで日蝕は見れません。そちらの天気はどぅ?」
とのメールが午前7時過ぎに着信していたのを午前9時過ぎに読む。
ひたすら作業に熱中していて日蝕のことは完全に忘れていた。
《畑で日蝕を見れば良いかなぁ~?》と思っていたので有るが・・・・・・・。

んんん~~~。全く意中から消失していて、少し悔しい気持ちが有る。

《慣れ》とは不思議なもので、体力的に最初に取り掛かるまでは辛いであろうと
思う事も二回目はそのように感じる事が少ない。
と、いうか、
一度その辛さを経験してしまうとその辛さを克服する気持ちの置かれる場所が
前面に突出してくるのであろうか?
辛さが感じられない。
慣れによる辛さの感覚の麻痺に近い状態の方が表現として的確かもしれない。



トラクターで畑を深耕していると上記のような光景を目にした。
本来、カラスとトンビは敵対するものであるが・・・・・。
生命維持の本能的行動に於ける敵対関係を超える《慣れ》の光景。
一緒に近い場所で畑から掘り起こされた虫をついばむ姿が私の作業する畑では
頻繁に見ることができるのだ。

彼らも、餌を摂るという生命維持の根源である本能的行動において、
敵対する関係以上に慣れに感化されて敵対する行動が麻痺に近い状態に
有るのかもしれない。

水の枯渇する季節に水のみ場に、ライオンとシマウマが近所にいるのと同じだ。

畑では、生物の不思議を観察できるフィールドのようにも感じる時がある。


夕焼けとんび/三橋美智也


この事象は真の共存の姿か?

ジャイアント馬場とアントニオ猪木が吉野家で牛丼(並)生姜山盛りにして食べていて、
タイガージェットシンとアブドラ・ザ・ブッチャーが込み合っているので
合い席でその向かいに座って特盛汁ダクを食べている姿。

生きる為の条件を分かち合う自然のアンバランスな法則をカラスとトンビから
見ることができようか?
即ち、畑は自然科学的な観察題材を提供してくれる現実的事象の埋もれている
大きな書庫でも有る。

見入ってじっとトラクターのステアリングを握りニュートラギアでアイドリングさせて、
脅かさぬようにトラクターの進行を止め、観察し不合理性に考えにふける私は
ゲーテのような自然科学者で詩人に似てみたいと思うのである。


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