池やん!まいど!おおきに!ごきげんどぅ!

仕事・今までの人生
このごろ悩みが多くて困ります。
周りの多くの人に救われているのを
実感する今日この頃。

熱心な人

2011年03月19日 | 楽しい人
自信の職(食)について熱心に語る方とお会いできるのが私は楽しくて仕方がない。

おかげさまで、私の周りにはその専門的なお話しをしてくれる方が
多くおいでになり嬉しい限りである。

私の相棒として働いてくれているA・Mも大手ファミーリーレストランのチェーンで
店舗運営とメニュー開発に関わっていたようでその話す内容は多岐に及び
私の経営《こんなもんでええのやろか?的自己中心の感覚経営)とは全く違い
徹底的な品質向上・徹底的な無駄の削除・完璧に遂行する衛星管理訴求・
経費管理や人的資材の有効利用等々・・・・・
聞いているだけで職域における管理能力に関しては誰にでも即実践できる
システム化されたである事に驚いたことがある。

昨日の夕食で右隣であったD氏は、私に昔の愚連隊や任侠の世界の事を
熱心に語っていた。あまりこの類の話は好きではないのであるが
過去を懐かしむように遠い目をして一献を傾けている姿は悲哀を感じた。
過去の自分なりの尺度で栄光と酒に酔っている。
左隣の方は折り紙を教授されている方で、
折り紙が永遠の研究題材となり研究を進めていくうちに
数学的発見を見出し、哲学的解釈をもたれている方で
論ずる事が《たかが折り紙、されど折り紙》的に紙を三角に折るという事に
基本中の基本が有るという事を話に聞き感心した事が有る。
誰でも経験あることであろうと思うが、鶴を折るとすると折る工程の途中で
どうしても誤差が生まれて隙間ができた経験があると思う。
ほとんどの方が何度も何度もこれを経験していると思う。
彼の話す内容は私の知りたいという強い欲求に答えてくれた。
《この隙間にこそ大宇宙の果てに関する無限の推測と証明数学の不条理が生まれる。》
彼の持論をまとめると上記のようになる。
折り紙を学術的に語られるとなるほどと納得してしまう。

昨日は、滋賀県竜王町で牧場を経営し、生産したての牛乳を使用して
スィーツやカフェを運営されている方と少しお話ができた。
私の知りたいという欲求に合致する方であった。
チーズの発酵のシステムと作り方の工夫、乳質等々・・・・
なにより味の変化はあるのか?発酵のスピードの変化は?等を
もう少し詳しく聞いてみたいと思っている。

花ざくろ


昔、ここにも熱心な方を見ることができた時代があった。
箒を使うだけで笑いが生まれる。
座るだけで笑いが生まれ、あくびで笑いが生まれる。
今は昔の人であるが、藤山寛美さんの舞台での一つ一つの所作は
ある意味、人の内面性やそのときの動作を観客に大げさに見せるという面で
その舞台を見ている観客の日常の何気ない感情と行動が同化することにより
納得の笑いが生まれているように思う。

当時は考える事はなかったが、現在になっては、
藤山寛美さんの所作にはなぜ笑いが生まれるのかを深く解析すると面白い。

自己保身の大ばか者が公共の福祉を唱えている混濁の時代に
私は《熱心》という事を大切に考えている。
東北に寄せる私なりの鎮魂の表現でもある。
最近、誰がいくら寄付したか、何を送ったかが報道され話題になる時点で
失望した。気持ちの表現は匿名で良いものが・・・・・・・・・・。

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