ある新聞の投書欄におもしろい意見を発見した。オリンピックで思ったことだそうだが、日本の選手の名前は苗字
と名前を入れ替えて、名姓の順序に呼ばれているのに、韓国や中国の選手はすべて姓名の順に呼ばれている。これ
はどうしたことであろうかというのである。
なるほど私たちだって外国へ行ったときには、ほとんどファーストネームを先にして、つまり名姓の順に自分を
紹介するのが普通だと思っていた。ヨーロッパやアメリカではすべてその順序で呼んでいるからである。
その点韓国人や中国人の名前は、大抵の場合漢字三文字で一つの固まりみたいになっており、もはやこれを二つ
に分けて順序を入れ替えることなど出来そうにもない感じである。
そのほかのアジア諸国ではどうなっているのか寡聞にして知らないが、確かタイの知り合いも姓名の順に自分の
名前を言っていたように思う。
ヨーロッパやアメリカの言葉の順序では、たくさんのものの中での一つは、ワン・オブ・ゼムであって、一つと
いう意味のワンが前に来ている。同様にジャンヌダークはジャン・ドゥ・アークであって、アーク家のジャンの意
味である。
要するに欧米語では小さいものを先にいい、それを含む大ォいものを後で言うことになっている。住所の表示も
その順序である。まさに彼ら自身の言葉の順序に従っているだけである。
これに対して日本や韓国では、大きいものを先にいい、そこに含まれる小さいものを後でいう習慣になっている。
藤原家の鎌足が藤原の鎌足であり、藤原鎌足なのである。そういえば韓国や中国の住所表示は国の名から始まってい
る。
ところがである。私はロンドンにいるときに一つの発見をした。それは電話番号であった。電話では国番号、市外
局番、市内局番、そして個々の番号の順序である。これはヨーロッパでもアメリカでも同じである。まさに大から小
への順である。
だから私はかれらに対して、本来の順序は大から小の方が合理的である。電話などの機械にとってはたくさんのも
のの中から一つのものを選び出すのに、大きいものから順に探してゆくではないかと、私たちの習慣の方が合理的で
あることをまくし立てていた。
ところがポーランドの友人の住所表示で気がついたのだが、かれらの住所はポーランド国、ソポト市、・・・の順に
書かれている。これについて聞いてみるとその通りだという。そこは僕らと同じだネと意気投合したものである。
そういえばポーランドの論理学者の着想から出来たといわれるポーランド記法という、コンピュータにとって都合の
よい数式表現は日本流数式表現と非常によく似ているのである。
普通数式はX+Yと書く。
ところが日本語ではXにYを加えると表現する。記号で書けばXY+である。実はこのように表現すると、計算順序を
示す括弧が要らなくなるのである。これから見ても日本流の順序の方が機械化の時代には都合がよいのだと主張できる。
ところが最近困ったことが起こってきた。今はやりの電子メールでのアドレス表示方法である。ここではアメリカ流
に、個人名、機関名、国名の順である。私のEメールアドレスは、「テツジ@??大学.学.日本」と書く。
もちろんこれをコンピュータの中で処理するためには、後ろの情報から、すなわちまず日本に送る、その上で甲南大学
に送る、さらにそこでテツジを探す、といった順に探してゆくわけだが、このような不都合もアメリカ人の癖でこうなっ
てしまったのに違いない。
そういえばもっとも新しい通信方法として出現したATM方式では、高速に処理しなければならない必要から、当然前
の大分類の情報から順に処理してゆく形になる。まさに我が意を得たりというところである。 (2005年1月 鉄児)
[註:これはAD2005年、"goo"の旧HPに下條哲司氏が直接投稿された記事を再掲したもの。下條哲司氏:元神戸商船大、
神戸大、甲南大教授。京大・経卒。故人。]
と名前を入れ替えて、名姓の順序に呼ばれているのに、韓国や中国の選手はすべて姓名の順に呼ばれている。これ
はどうしたことであろうかというのである。
なるほど私たちだって外国へ行ったときには、ほとんどファーストネームを先にして、つまり名姓の順に自分を
紹介するのが普通だと思っていた。ヨーロッパやアメリカではすべてその順序で呼んでいるからである。
その点韓国人や中国人の名前は、大抵の場合漢字三文字で一つの固まりみたいになっており、もはやこれを二つ
に分けて順序を入れ替えることなど出来そうにもない感じである。
そのほかのアジア諸国ではどうなっているのか寡聞にして知らないが、確かタイの知り合いも姓名の順に自分の
名前を言っていたように思う。
ヨーロッパやアメリカの言葉の順序では、たくさんのものの中での一つは、ワン・オブ・ゼムであって、一つと
いう意味のワンが前に来ている。同様にジャンヌダークはジャン・ドゥ・アークであって、アーク家のジャンの意
味である。
要するに欧米語では小さいものを先にいい、それを含む大ォいものを後で言うことになっている。住所の表示も
その順序である。まさに彼ら自身の言葉の順序に従っているだけである。
これに対して日本や韓国では、大きいものを先にいい、そこに含まれる小さいものを後でいう習慣になっている。
藤原家の鎌足が藤原の鎌足であり、藤原鎌足なのである。そういえば韓国や中国の住所表示は国の名から始まってい
る。
ところがである。私はロンドンにいるときに一つの発見をした。それは電話番号であった。電話では国番号、市外
局番、市内局番、そして個々の番号の順序である。これはヨーロッパでもアメリカでも同じである。まさに大から小
への順である。
だから私はかれらに対して、本来の順序は大から小の方が合理的である。電話などの機械にとってはたくさんのも
のの中から一つのものを選び出すのに、大きいものから順に探してゆくではないかと、私たちの習慣の方が合理的で
あることをまくし立てていた。
ところがポーランドの友人の住所表示で気がついたのだが、かれらの住所はポーランド国、ソポト市、・・・の順に
書かれている。これについて聞いてみるとその通りだという。そこは僕らと同じだネと意気投合したものである。
そういえばポーランドの論理学者の着想から出来たといわれるポーランド記法という、コンピュータにとって都合の
よい数式表現は日本流数式表現と非常によく似ているのである。
普通数式はX+Yと書く。
ところが日本語ではXにYを加えると表現する。記号で書けばXY+である。実はこのように表現すると、計算順序を
示す括弧が要らなくなるのである。これから見ても日本流の順序の方が機械化の時代には都合がよいのだと主張できる。
ところが最近困ったことが起こってきた。今はやりの電子メールでのアドレス表示方法である。ここではアメリカ流
に、個人名、機関名、国名の順である。私のEメールアドレスは、「テツジ@??大学.学.日本」と書く。
もちろんこれをコンピュータの中で処理するためには、後ろの情報から、すなわちまず日本に送る、その上で甲南大学
に送る、さらにそこでテツジを探す、といった順に探してゆくわけだが、このような不都合もアメリカ人の癖でこうなっ
てしまったのに違いない。
そういえばもっとも新しい通信方法として出現したATM方式では、高速に処理しなければならない必要から、当然前
の大分類の情報から順に処理してゆく形になる。まさに我が意を得たりというところである。 (2005年1月 鉄児)
[註:これはAD2005年、"goo"の旧HPに下條哲司氏が直接投稿された記事を再掲したもの。下條哲司氏:元神戸商船大、
神戸大、甲南大教授。京大・経卒。故人。]
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