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鷲羽岳から望む黒部五郎岳
黒部五郎は人名ではない。
山中の岩場のことを「ゴーロ」という。
五郎はゴーロの宛て字で、それが黒部川の源流近くにあるから、
黒部のゴーロ、即ち黒部五郎岳となったのである。
北アルプスには、ほかに野口五郎岳がある。
二つのゴーロの山を区別するため、黒部と野口を上に冠したのである。
初登頂されたのは明治43年1910年、
もちろんまだ道はもなく、人けもない、凄いほどの荒ら山だった。
「中之俣白山神社」
この荒ら山にも祭神が祀られ、参拝者の登ったことがあったのである。
この山が一名「中之俣岳」と呼ばれる。
私も黒部五郎岳は大好きな山である。
これほど独自の個性を持った山も稀である。
「雲の平」から見た姿が中でも立派で、
「特異な円錐がどっしりと高原を圧し、頂上のカールは大口を開けて、雪の白歯を光らせている」
黒部五郎岳の肩に着くと、眼の下が、巨人の手でえぐり取ったように、大きく落ち込んでいる。
三方を高い壁に囲まれて、いかにも圏谷といった感じである。
底から見上げたカールは実に立派である。
三方を岩尾根に包まれて、青天井の大伽藍の中に入ったようである。
すばらしい景色はどこにでもあるが、ここは他に類例のないすばらしさである。
圏谷の底という感じをこれほど強烈に与える場所はほかにない。
中村清太郎さんは黒部五郎岳を不遇の天才にたとえられた。
確かに、世にもてはやされている北アルプスの他の山々に比べて、
その独自性において少しも遜色のないこの見事な山が、多くの人に見落とされている。
しかしそれでいい。
黒部五郎は人名ではない。
山中の岩場のことを「ゴーロ」という。
五郎はゴーロの宛て字で、それが黒部川の源流近くにあるから、
黒部のゴーロ、即ち黒部五郎岳となったのである。
北アルプスには、ほかに野口五郎岳がある。
二つのゴーロの山を区別するため、黒部と野口を上に冠したのである。
初登頂されたのは明治43年1910年、
もちろんまだ道はもなく、人けもない、凄いほどの荒ら山だった。
「中之俣白山神社」
この荒ら山にも祭神が祀られ、参拝者の登ったことがあったのである。
この山が一名「中之俣岳」と呼ばれる。
私も黒部五郎岳は大好きな山である。
これほど独自の個性を持った山も稀である。
「雲の平」から見た姿が中でも立派で、
「特異な円錐がどっしりと高原を圧し、頂上のカールは大口を開けて、雪の白歯を光らせている」
黒部五郎岳の肩に着くと、眼の下が、巨人の手でえぐり取ったように、大きく落ち込んでいる。
三方を高い壁に囲まれて、いかにも圏谷といった感じである。
底から見上げたカールは実に立派である。
三方を岩尾根に包まれて、青天井の大伽藍の中に入ったようである。
すばらしい景色はどこにでもあるが、ここは他に類例のないすばらしさである。
圏谷の底という感じをこれほど強烈に与える場所はほかにない。
中村清太郎さんは黒部五郎岳を不遇の天才にたとえられた。
確かに、世にもてはやされている北アルプスの他の山々に比べて、
その独自性において少しも遜色のないこの見事な山が、多くの人に見落とされている。
しかしそれでいい。
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