私は小さな頃から本が好き。
私の秘密の場所は、
小学生の時に隣の町の山の中に出来た大きな図書館。
小学生低学年の私には片道1時間かかる。
いつも、そこは私の貸し切り状態。
山の上だし、周りに何も無いし、田舎だし、出来たてだった事もあり
利用者は1名のみ!!
それ、私(笑)
だから、1人だと自分の足音が響き、呼吸の音も聞こえる。
「人生の答えは本の中」
知りたい事があれば、取り合えず本を読み倒す!!
今みたいに図書館に検索機も無いし、ネットも無いから、
知りたい事じゃない本をチョイスする事もあったけど。
それはそれで面白かった。
求めて読むから、その活字から何かを感じ取りたい気持ちは強い。
GOOブログに来て、自分の居場所&表現場所を確保!!
本当は自分の心の傷を洗いざらい吐いて1年くらいでやめよう!って思ってた。
でも最初からはさすがに出来ず、何を書こうかわからないまま
思うままの活字を並べ、他の方のブログを見て回る日々。
いざ昔のつらかった事を下書きすると、痛かった!!
心も内容も痛すぎる!!
活字もそして、自分の縫って貼ってしてやっとふさいだ傷をまた開ける事が。
もう大丈夫かな?と思って、この間親友に小さな頃の話をして見たら、
ちょっとした話なのに、痛くて泣けてきた。
その話しを聞かせてしまってる時の相手の何とも言えない表情が、
逆に申し訳なくて更につらい。
はい!!これ余談(笑)
痛い話を書いて、自分の居場所を苦しくする必要はあるのか?って思った。
その頃からブログにはコメントをもらえるようになってきた。
嬉しくて、自分の居場所は気持ちいい方が良いって思えた。
ブログを始めて1年半が過ぎた。
ほぼ毎日書いていたブログを自分ペースにして、半年。
ブログも自分の思うままに書かしてもらっている。
ただ、あくまでも活字なので100%の私のまんまの気持ちが通じているかはわからない。
書いたものが手を離れてしまえば(他の方が読めば)
それは相手の主観でしかないからだ。
本が映画になった時に「あれ?こんな感じかな?自分が思ったのと違~~~う!」
そんな感じ(笑)
主観が製作者になり、自分の感じた事とのギャップでそうなるんだろう。
活字からはたくさんの物をもらっている。
でも、活字を人とのコミュニケーションに使うと
いっきに活字の難しさは倍増!!
受け取り、自分の中で消化。
でも、それが正解かわからないまま自分の中で解釈。
でも、少しでもこぼす事の無いように、そこから気持ちを読もうと必死(笑)
最終は自分が持つ経験や知識でしか理解出来ないから。
でも、わからない事は未来&未知の事だけど、ちゃんと収納したいと思う。
もちろんその逆も有り、受け止められ方で良くも悪くもなる。
ここに来て、活字を使ってのコミュニケーションの楽しさや難しさを知る。
その反面、リアルにも無く本にも無い活字の深みや重みも教えてもらった。
私は活字を使って、
今ある私の100%で向き合いたいと思う。
やっぱり私.....
活字が大好き
私の秘密の場所は、
小学生の時に隣の町の山の中に出来た大きな図書館。
小学生低学年の私には片道1時間かかる。
いつも、そこは私の貸し切り状態。
山の上だし、周りに何も無いし、田舎だし、出来たてだった事もあり
利用者は1名のみ!!
それ、私(笑)
だから、1人だと自分の足音が響き、呼吸の音も聞こえる。
「人生の答えは本の中」
知りたい事があれば、取り合えず本を読み倒す!!
今みたいに図書館に検索機も無いし、ネットも無いから、
知りたい事じゃない本をチョイスする事もあったけど。
それはそれで面白かった。
求めて読むから、その活字から何かを感じ取りたい気持ちは強い。
GOOブログに来て、自分の居場所&表現場所を確保!!
本当は自分の心の傷を洗いざらい吐いて1年くらいでやめよう!って思ってた。
でも最初からはさすがに出来ず、何を書こうかわからないまま
思うままの活字を並べ、他の方のブログを見て回る日々。
いざ昔のつらかった事を下書きすると、痛かった!!
心も内容も痛すぎる!!
活字もそして、自分の縫って貼ってしてやっとふさいだ傷をまた開ける事が。
もう大丈夫かな?と思って、この間親友に小さな頃の話をして見たら、
ちょっとした話なのに、痛くて泣けてきた。
その話しを聞かせてしまってる時の相手の何とも言えない表情が、
逆に申し訳なくて更につらい。
はい!!これ余談(笑)
痛い話を書いて、自分の居場所を苦しくする必要はあるのか?って思った。
その頃からブログにはコメントをもらえるようになってきた。
嬉しくて、自分の居場所は気持ちいい方が良いって思えた。
ブログを始めて1年半が過ぎた。
ほぼ毎日書いていたブログを自分ペースにして、半年。
ブログも自分の思うままに書かしてもらっている。
ただ、あくまでも活字なので100%の私のまんまの気持ちが通じているかはわからない。
書いたものが手を離れてしまえば(他の方が読めば)
それは相手の主観でしかないからだ。
本が映画になった時に「あれ?こんな感じかな?自分が思ったのと違~~~う!」
そんな感じ(笑)
主観が製作者になり、自分の感じた事とのギャップでそうなるんだろう。
活字からはたくさんの物をもらっている。
でも、活字を人とのコミュニケーションに使うと
いっきに活字の難しさは倍増!!
受け取り、自分の中で消化。
でも、それが正解かわからないまま自分の中で解釈。
でも、少しでもこぼす事の無いように、そこから気持ちを読もうと必死(笑)
最終は自分が持つ経験や知識でしか理解出来ないから。
でも、わからない事は未来&未知の事だけど、ちゃんと収納したいと思う。
もちろんその逆も有り、受け止められ方で良くも悪くもなる。
ここに来て、活字を使ってのコミュニケーションの楽しさや難しさを知る。
その反面、リアルにも無く本にも無い活字の深みや重みも教えてもらった。
私は活字を使って、
今ある私の100%で向き合いたいと思う。
やっぱり私.....
活字が大好き