少し時間が出来たので本屋をフラフラして、何気に見たのは、
ぶり返す「怒り」「寂しさ」「悲しみ」は捨てられる。
そんな題名の本。
本の帯には「大人の愛情飢餓」と言う文字が。
5万人以上を見てきた心理カウンセラーさんの著書。
立ち読みすると思い当たる節がたくさん出てきて、
最悪にも、
ちょっと、涙目になってしまった。
慌てて本を置き、逃げるように店を出た。
ちょっとね?
ずっとだな。
気付いてた.........と言うか、
ずっと、心の奥にある物を。
だから、必死で押さえこんでまた見ないように奥に詰め込んだ。
子供の頃に得られなかった愛情を、
大人になってから形を変えて、求めてしまう。
それが愛情飢餓だとか。
愛情飢餓の親からは、やっぱり愛情飢餓の子供が出来上がる。
なぜなら、親が子供の頃に満たされなかった愛情の飢餓感を満たす為に、
子供にそれを求めてしまうから、子供は親に愛情を注ぐが自分はもらえない状態になる。
そして、また愛情飢餓になった子供が大人になる。
克服するには、そんな小さな頃の自分の想いを表に出して受け入れる事だとか。
「すごく寂しかった。」
「受け入れてもらえない事に腹が立った。」
そんな色んな想いを吐き出させる事が良いんだとか。
......そんな事くらいで?なんて思う自分。
そんなもので心が癒せる訳がない。
心の傷が、心の欠けの修復が簡単な訳がない。
そんなに簡単なら、みんな苦しまない。
心理学を知らない私はそう思う。
ずっと思ってた。
こんな感情はどこから来るのか?、どうして起こるのか?
どうすれば満たされるのか?。
多分それは、ないんだろうと。
その満たされない感情は、ずっと色んな形で出ていたんじゃないかと思う。
ライナスの毛布のように離せなかったウサギの人形だったり。
何かを抱きしめる事で、防御や安心や安定を手に入れようと無意識にしていたのかな?
と思う。
今は必要が無くなったのは、執着や依存が他に行ったのか?無くなったのか?
無くなりはしないのか?
執着や依存を恐れているからなのか。
失う事の恐怖があるから執着や依存自体を遠ざけるのか?
子供の自分は受け入れてはもらえず、親の気持ちを受け入れる一方だったと思う。
でも、そうして親から必要とされる事で気持ちの均等を保っていたのかもしれない。
もしかしたら、それを愛情だと思いこんでたかもしれない。
自立した今も、他に求めるより他に必要とされる事を願うのはその後遺症かも?
なんて苦笑してしまう。
そして求める事をあきらめる。
求めて受け入れられないと怖いから。
そして、
『必要とされなくなったら自分は価値が無いのでは?』
と行きがちだけれど、
ちょっと、『それはそれで、気持ちが楽になるかも?』なんて思う所もある。
だけど、実際はわからない。
必要とされたい思いと必要と言う言葉で利用されたくない思いで。
今なら母親の愛情飢餓感も理解出来る。
私も子供達に足りないで来た愛情を求めてはいなかったか?
そもそも、愛情ってなんだろ?
よく愛とは無条件に相手を受け入れてあげる事なんて言うけど。
本の中でも実際にこれは無理な事だと書いてあった。
日本には大小あれど、慢性的、日常的に親が子に愛情を求め、
子供の愛情飢餓は起こってるとも。
人の心は複雑で、
深層心理など本人さえも気付いてない事や、
心の歪みから身体に不調をきたしたり。
心理学的に導き出される答えに、
完全な回復なんてきっと難しい事。
ここ数日の間で、何人もの愛情飢餓を起こす子供を見た。
もちろん親は気付いていない。
指摘をされても認めない親も多い。
自分の小さな頃を見ているようで心が痛い。
切り捨ててしまうのは簡単だし、
一時的に親の思うままに動かせるかもしれない。
その時は突き放される恐怖心から、
子供も一時的には聞くかもしれない。
だけど、
突き放す言葉は心を傷つけるし、
そして何より『自分の事を思っての言葉じゃない』と、
子供に認識させて、信頼を失うだけに過ぎない。
未来を担う子供達に、
愛を与えてはもらえませんか?
ぶり返す「怒り」「寂しさ」「悲しみ」は捨てられる。
そんな題名の本。
本の帯には「大人の愛情飢餓」と言う文字が。
5万人以上を見てきた心理カウンセラーさんの著書。
立ち読みすると思い当たる節がたくさん出てきて、
最悪にも、
ちょっと、涙目になってしまった。
慌てて本を置き、逃げるように店を出た。
ちょっとね?
ずっとだな。
気付いてた.........と言うか、
ずっと、心の奥にある物を。
だから、必死で押さえこんでまた見ないように奥に詰め込んだ。
子供の頃に得られなかった愛情を、
大人になってから形を変えて、求めてしまう。
それが愛情飢餓だとか。
愛情飢餓の親からは、やっぱり愛情飢餓の子供が出来上がる。
なぜなら、親が子供の頃に満たされなかった愛情の飢餓感を満たす為に、
子供にそれを求めてしまうから、子供は親に愛情を注ぐが自分はもらえない状態になる。
そして、また愛情飢餓になった子供が大人になる。
克服するには、そんな小さな頃の自分の想いを表に出して受け入れる事だとか。
「すごく寂しかった。」
「受け入れてもらえない事に腹が立った。」
そんな色んな想いを吐き出させる事が良いんだとか。
......そんな事くらいで?なんて思う自分。
そんなもので心が癒せる訳がない。
心の傷が、心の欠けの修復が簡単な訳がない。
そんなに簡単なら、みんな苦しまない。
心理学を知らない私はそう思う。
ずっと思ってた。
こんな感情はどこから来るのか?、どうして起こるのか?
どうすれば満たされるのか?。
多分それは、ないんだろうと。
その満たされない感情は、ずっと色んな形で出ていたんじゃないかと思う。
ライナスの毛布のように離せなかったウサギの人形だったり。
何かを抱きしめる事で、防御や安心や安定を手に入れようと無意識にしていたのかな?
と思う。
今は必要が無くなったのは、執着や依存が他に行ったのか?無くなったのか?
無くなりはしないのか?
執着や依存を恐れているからなのか。
失う事の恐怖があるから執着や依存自体を遠ざけるのか?
子供の自分は受け入れてはもらえず、親の気持ちを受け入れる一方だったと思う。
でも、そうして親から必要とされる事で気持ちの均等を保っていたのかもしれない。
もしかしたら、それを愛情だと思いこんでたかもしれない。
自立した今も、他に求めるより他に必要とされる事を願うのはその後遺症かも?
なんて苦笑してしまう。
そして求める事をあきらめる。
求めて受け入れられないと怖いから。
そして、
『必要とされなくなったら自分は価値が無いのでは?』
と行きがちだけれど、
ちょっと、『それはそれで、気持ちが楽になるかも?』なんて思う所もある。
だけど、実際はわからない。
必要とされたい思いと必要と言う言葉で利用されたくない思いで。
今なら母親の愛情飢餓感も理解出来る。
私も子供達に足りないで来た愛情を求めてはいなかったか?
そもそも、愛情ってなんだろ?
よく愛とは無条件に相手を受け入れてあげる事なんて言うけど。
本の中でも実際にこれは無理な事だと書いてあった。
日本には大小あれど、慢性的、日常的に親が子に愛情を求め、
子供の愛情飢餓は起こってるとも。
人の心は複雑で、
深層心理など本人さえも気付いてない事や、
心の歪みから身体に不調をきたしたり。
心理学的に導き出される答えに、
完全な回復なんてきっと難しい事。
ここ数日の間で、何人もの愛情飢餓を起こす子供を見た。
もちろん親は気付いていない。
指摘をされても認めない親も多い。
自分の小さな頃を見ているようで心が痛い。
切り捨ててしまうのは簡単だし、
一時的に親の思うままに動かせるかもしれない。
その時は突き放される恐怖心から、
子供も一時的には聞くかもしれない。
だけど、
突き放す言葉は心を傷つけるし、
そして何より『自分の事を思っての言葉じゃない』と、
子供に認識させて、信頼を失うだけに過ぎない。
未来を担う子供達に、
愛を与えてはもらえませんか?
自分も そうじゃないと言い切れないし 子供たちもそうではないとも言い切れないですね
だけど どこかでいろいろ 考え 行動することが大事なのだと思いますね
現代人の 母親は子供を いい学校に入れて いい大学を卒業して 一流の会社にはいればいいと思っている母親が大半だと 実感しています
なぜ塾にいれるのか?
学校ですら 自分の子供の内申書がいいようにかかれようとする
大事な 物心つく前に 既に保育園に預けられて親との時間が少ないためにすでに この時点でそういう感じになってしまっているような感じが否めませんね
親の 押しつけが多いような感じも多々あるように思いますね
まるで 自分が出来なかったことを子供に望んでいるように思えてしまいますね
ぼくも そういうことがないようにもう一度 考えて娘に接しないと駄目ですね
>愛情飢餓の親からは、やっぱり愛情飢餓の子供が出来上がる。
>なぜなら、親が子供の頃に満たされなかった愛情の飢餓感を満たす為に、
>子供にそれを求めてしまうから、子供は親に愛情を注ぐが自分はもらえない状態になる。
そういうことはありうると思いますが、親が配偶者との間で思いやりあふれる関係を築けたなら、親は幼い頃に愛情の飢餓があったとしてもパートナーとの関係で満たされ、飢餓を子供に投射することはなくなるんでしょうけどね。
>日本には大小あれど、慢性的、日常的に親が子に愛情を求め、
>子供の愛情飢餓は起こってるとも。
日本にそれが多いとしたら、夫婦間のラブラブ度・満足度が低いからなんでしょうね。
よく目にする調査報告では、フランスなんかが夫婦のラブラブ度が高いようですが、その差は何に起因するのでしょうね。
フランスに比べ、日本社会が少子化に陥っていることとも何か共通の原因があるのかもしれないですね。
だから、みんな、迷ったり、戸惑ったり、悩んだりしてしまうのかも知れません。
人の欲望が限りの無い物だから?、幾つになっても、大人になっても愛を求めてしまうのかな?でも、それは、いけないことじゃないんじゃない って思います。
誰もが、愛されたいと願っているしね。
今、現在は理解してもらえない事も、子供達が、成長すれば解ってもらえることもありますよね。
答えは簡単じゃないんだろうケド 答えが見つからなくても まぁ、いいか、 も、ありなのではないでしょうか?
みむさんは、今、たくさんの人に愛されていることは、間違いないと思います。
母親からの愛とは、別、と言えばそうなんだけどね。
子供の学歴が親のステイタスになってるような所もあって。
私が行っていた幼稚園でもお受験する方が多かったと思います。
子供の頃の育った環境って、後々の性格形成に大きく関わっていくと思うんです。
心理学の本にはそれが異性関係にも出ると言う事も書かれてたりします。
でも、
でも、過去はかわらない。
親も変えられない。
変えられるのは自分なんですよね。
より良くする為にどうすればいいか?
もがくしかないと思います。
ただ、
我が子に同じ想いをさせたくはないですね。
コメントありがとうございます♪
陽太郎さんのおっしゃる通りかもしれませんね。
欠けた愛情の部分を配偶者やパートナーに埋めてもらえたら、救われるのかも。
でも、その愛情飢餓から来る心の傷によって、良い関係を築くのが下手な事もあるので、
それを配偶者なり、パートナーがどれだけ受け入れて認めてあげられるかも大きいと思います。
私もまだまだなのでわかりませんが、
ラブラブで居られる努力が必要なんでしょうね。
コメントありがとうございます♪
きっと自分の中での山は越したんだと思ってます。
自分に子供が出来た事で理解出来た事、
自分に子供が出来たからこそ理解出来なかった事があります。
でも、
どれも過去に過ぎなくて、
自分を作る基礎は歪んでいて苦しんだけれど、
その分、違う角度から見えた事も事実で。
自分の考え方一つですごく良い道に出来るんだとわかりました。
今も愛情飢餓を引きずる母がいますが、
先に気づけた私が自分なりの愛を見せて行こうと思ってます。
少しづつね?そうする事で母が変わってきてるんですよ(*^-^*)
カバ丸さん。
励ましをありがとうございます。
うん!周りの人からいっぱい愛をもらってますね、私(*^0^*)v
幸せですよ♪
コメントありがとうございます♪
立ち止まったままでは何も変わらないけれど、
一歩踏み出して歩き始めれば、風景も 体に感じる風も
変わっていきますよね、
と言いつつ
変われない自分ではありますが、
これはすごく感じてきた事です。
生まれ持った性格は簡単に変わらないし、
過去も変わらない。
変えられる事は自分の思考なんですよね。
でもね?
ちょっとした、物の見方や前向きな受け取り方、
そんな事を少しづつして行くと、
過去の自分が小さく見えたりします。
まだ、まだ発展途上の自分ですが、
周りを変えられない分、自分の思考をコントロールして、
いい方向へ行ければいいなあ....って思います(*^-^*)
コメントありがとうございます♪